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推奨の本
≪GOLDONI/2010年7月≫

『逝きし世の面影』 渡辺 京二著 
 葦書房 1998年

 われわれはいまこそ、なぜチェンバレンが日本には「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言ったのか、その理由を理解することができる。衆目が認めた日本人の表情に浮ぶ幸福感は、当時の日本が自然環境との交わり、人びと相互の交わりという点で自由と自立を保証する社会だったことに由来する。浜辺は彼ら自身の浜辺であり、海のもたらす恵みは寡婦も老人も含めて彼ら共同のものであった。イヴァン・イリイチのいう社会的な「共有地」、すなわち人びとが自立した生を共に生きるための交わりの空間は、貧しいものも含めて、地域のすべての人びとに開かれていたのである。
 一言にしていえば、当時の日本の貧しさは、工業化社会の到来以前の貧しさであり、初期工業化社会の特徴であった陰惨な社会問題としての貧困とはまったく異質だった。そして、そのことを誰よりも早く指摘していたのは、ほかならぬかのジーボルトである。彼は江戸参府の途中、中国地方の製塩業を見てこう述べている。「日本において国民的産業の何らかの部門が、大規模または大量生産的に行われている地方では一般的な繁栄がみられ、ヨーロッパの工業都市の、人間的な悲惨と不品行をはっきり示している身心ともに疲れ果てた、あのような貧困な国民階層は存在しないという見解を繰り返し述べてきたが、ここでもその正しいことがわかった。しかも日本には、測り知れない富をもち、半ば飢え衰えた階級の人々の上に金権をふるう工業の支配者は存在しない。労働者も工場主も日本ではヨーロッパよりもなお一層きびしい格式をもって隔てられてはいるが、彼らは同胞として相互の尊敬と好意によってさらに堅く結ばれている」
 いまやわれわれは、古き日本の生活のゆたかさと人びとの幸福感を口をそろえて賞賛する欧米人たちが、何を対照として日本を見ていたのかを理解する。彼らの眼には、初期工業化社会が生み出した都市のスラム街、そこでの悲惨な貧困と道徳的崩壊という対照が浮かんでいたのだ。
(「第三章 簡素とゆたかさ」より)

 モースは滞日中、たえず財布の入ったポケットを抑えていたり、ベンチに置き忘れた洋傘をあきらめたりしないでいい国に住むしあわせを味わい続けていた。「錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ。私の大外套と春の外套をクリーニングするために持って行った召使いは、間もなくポケットの一つに小銭若干が入っていたのに気がついてそれを持って来たが、また今度は、サンフランシスコの乗合馬車の切符を三枚持って来た」。(略)広島の旅館に泊まったときのことだが、この先の旅程を終えたらまたこの宿に戻ろうと思って、モースは時計と金をあずけた。女中はそれを盆にのせただけだった。不安になった彼は宿の主人に、ちゃんとどこかに保管しないのかと尋ねると、主人はここに置いても絶対に安全であり、うちには金庫などないと答えた、一週間後この宿に帰ってみると、「時計はいうに及ばず、小銭の一セントに至る迄、私がそれ等を残して行った時と全く同様に、蓋のない盆の上にのっていた」のである。
 (略)モースは、日本に数カ月以上いた外国人はおどろきと残念さをもって、「自分の国で人道の名において道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人が生まれながらに持っている」ことに気づくと述べ、それが「恵まれた階級の人々ばかりではなく、最も貧しい人々も持っている特質である」ことを強調する。
(第四章 親和と礼節」より)  

 幕末に異邦人たちが目撃した徳川後期文明は、ひとつの完成の域に達した文明だった。それはその成員の親和と幸福感、あたえられた生を無欲に楽しむ気楽さと諦念、自然環境と日月の運行を年中行事として生活化する仕組みにおいて、異邦人を讃嘆へとさそわずにはいない文明であった。しかしそれは滅びなければならぬ文明であった。徳川後期社会は、いわゆる幕藩制の制度的矛盾によって、いずれは政治・経済の領域から崩壊すべく運命づけられていたといわれる。そしてなによりも、世界資本主義システムが、最後に残った空白として日本をその一環に組みこもうとしている以上、古き文明がその命数を終えるのは必然だったのだと説かれる。リンダウが言っている。「文明とは、憐れみも情もなく行動する抗し得ない力なのである。それは暴力的に押しつけられる力であり、その歴史の中に、いかに多くのページが、血と火の文字で書かれてきたかを数え上げなければならぬかは、ひとの知るところである」。むろんリンダウのいう文明とは、近代産業文明を意味する。オールコックはさながらマルクスのごとく告げる。「西洋から東洋に向かう通商はたとえ商人がそれを望まぬにしても、また政府がそれを阻止したいと望むにしても、革命的な性格をもった力なのである」。だが私は、そのような力とそれがもたらす必然についていまは論じまい。政治や経済の動因とは別に、日本人自身が明治という時代を通じて、この完成されたよき美しき文明と徐々に別れを告げねばならなかったのはなぜであったのか。
(「第十四章 心の垣根」より)