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「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(十八)

 悪役モデルにされた「遠山敦子元文科相」の言論統制 『週刊新潮』5月27日号

 『週刊新潮』5月27日号の写真ページ[discover]は久しぶりに面白い。タイトルは≪路駐 とんこつ ベントレー 「松野頼久内閣官房副長官」のアンバランスな休日≫。日曜の夜、渋谷区広尾のラーメン店に妻子を伴って出掛けた松野氏。価格2千万超のベントレーを路上駐車させ、店に入る前の歩道上で煙草を吸っている瞬間を撮られている。ベントレーから降りる姿も、路上で一服している姿も、「松野頼久」とのタイトルがなければ、そこらの地回りと見紛うばかり。不適切行動が指摘される多くの閣僚、民主党議員たちの中にあって、違法駐車、路上喫煙くらいで週刊誌の餌食にされるのは可哀想でもある。
 独身、まだまだ修行中の身で外に子供を作り、その母と子を捨てて結婚した染五郎、海老藏。酒に酔って警察官と大立ち回りを演じて逮捕された七之助など、戦後に活躍した歌舞伎俳優たちの三代目はあっぱれな虚けばかり。政治稼業の三代目である松野氏、違法駐車と路上喫煙はいただけないが、政治家の資質が全くないことを自らの言動で証明、それでも批判を恐れて夫婦での大好きな夜遊びを控えている、今やその虚けぶりはアメリカでも知られる政治稼業四代目の代わりに叩かれたのだろうか。それにしても、日曜夜の家族揃っての優雅な夕食も摂れるはずのお出掛けでラーメンとは、「民の竈」、庶民の暮らしを知ろうとの立派な心掛け。少しは称揚すべきことだろうが、どのぞの四代目同様、時と場所と機会を弁えられない、まさに「アンバランスな休日」が、その称揚すべき心掛けを無にしてしまった。
 永田町や霞が関の住人たちの風格のなさ、面構えの悪さ、貧相なさまにはこの数十年、驚くこともなくなった。三代目の松野氏は別だが、霞が関から永田町に移った新「過去」官僚、「脱藩」官僚たちや、自民、社会、民社などの既成政党を飛び出し、幾多の弱小政党を彷徨い、偶さか吹いたフォローの風に載って手にしたタナボタの政権でポストを得たものたちの「お子ちゃま内閣」(『週刊文春』)の面々、「廃園寸前の鳩山幼稚園」(『週刊新潮』)の園児たちの貧相な面構え。一週間でも宮崎に行き、畜農家や自衛隊員に交じって、殺された牛や豚の埋却作業でも手伝えば、呆れ果てた性根も面構えも、少しはマシなものになるのかもしれない。
 
 『週刊新潮』同号のワイド特集「ルージュの戦士」の書き出しも面白い。<頂点を極めた。名が売れた。形はそれぞれ違えど、斯く成功した女たちに限ってなぜか有為転変は付き物だ。政界への転身、引退と復帰、闘病に事件にゴシップ。目の前の山河を越え、世界を拓かんと疾走、奮戦する彼女らに、さて、ルージュをひく暇はあろうか…。>とある。そこでは、「参議院議員に当選しても、現役も続けてロンドン五輪を目指す」という盛りを過ぎた勘違い女柔道家、相次ぐスキャンダルで仕事をなくした自民党タレント候補、お友達の詐欺師を自身のブログで絶賛してしまった元首相夫人など、何とも何ともな女性たちの中に、「大臣経験者である天下り」という世にも珍しい存在たる遠山敦子女史が、このあっぱれ達と同列に扱われて登場している。題して、<悪役モデルにされた「遠山敦子」元文科相の言論統制>。
 <天下り官僚の横暴という、事業仕分けの動機にもなったテーマの芝居が上演された。永井愛作・演出の『かたりの椅子』。実は官僚のモデルは遠山敦子元文部科学大臣(71)だが、嫌がったご当人、〝言論統制〟まで敷いたというので……>との書き出しで、一昨年の新国立劇場の演劇部門芸術監督・鵜山仁氏の〝解任騒動〟の顛末を述べ、「朝日新聞は社説で<混乱のきっかけは、文部官僚出身で元文部科学大臣の遠山敦子理事長が、芸術監督全員を一気に代えようとしたことだ>と、異例の〝個人批判〟。」をしたことにも言及。また、同じ朝日新聞が昨年まで設けていた朝日舞台芸術賞の選考委員経験者で、演劇評論家の大笹吉雄氏は、<「自分が〝解任〟を決めた鵜山さんが新国で上演した芝居が賞を取ると、授賞式にノコノコと出て行き、〝いい演出家がいて、いいキャストがいて、いい戯曲があって、いい舞台ができるのです〟と、自分の手柄のようにスピーチする」と酷評する。
 文部科学省の政務三役、あるいは幹部職員の配慮でもあったからか、天下り官僚の典型でもある理事長を抱え、総事業費の過半を国費に頼り、独立行政法人にぶら下がる天下りのための財団でありながら、事業仕分け第二弾の対象から差し当たっては逃げ果せることが出来た新国立劇場。そのトップであれば、「事業仕分け」準備の間くらいは鳴りを潜め息を殺して嵐の過ぎるのを待つものだろうが、そこは天下り歴十数年の大物理事長、そういうあざといことはしなかった。理事長本人は否定しているそうだが、<「公演を取り上げないよう、マスコミに内々に要請してきた」(新聞社の幹部社員)>そうである。
 〝解任騒動〟以来、言われっぱなし、叩かれっぱなしの遠山氏、隠忍自重、不自由な、気の鬱ぐ日々を送っておられるのかと、ひそかに同情、案じていたが、まだまだご活躍の様子で安心した。この先の「事業仕分け」で、「悪役モデル」にされるほどの見事なお姿を拝見することが出来るかもしれない。