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推奨の本
≪GOLDONI/2010年6月≫

『プリンシプルのない日本』 白洲 次郎著 
 メディア総合研究所 2001年

 総裁公選は書生論
 
 鳩山さんが引退したら、後継者は誰かということは、ほとんど毎日、新聞雑誌を賑わしている。鳩山さんは、適当な後継者がないから引退出来ないと居据る腹だとさえいう人がいるが、ほんとに引退するつもりなら、さっさとやめるがいい。政治評論家などの玄人がいう様に、総裁公選などとは一介の書生論だと素人の私は考える。大変な寄り合い世帯(ほんとは世帯などとは縁の遠いものなのだが)の自由民主党で、公選などは不可能なばかりか無意味である。決選投票などやって御覧なさい。勝った方の連中はおさまるが、負けた方はシコリが残る位の生易しいことであきらめる道理はない。やれ脱退だ、除名だとさわぎの始まるのは火を睹るより明かだ。
 やめるならさっさとやめてしまえというのは、こんな問題はどうせ土壇場にこなければ解決など出てくるものではないとあきらめているからだ。この土壇場は人工的にこようが自然にこようが結果は同じである。人工的にやるのならすぐでも来るが、自然にくるのを待つのには時間がかかる。政党がその総裁をながい間空席にして決め得ない様なら、その政党は潰滅するのは必至であること位は政治家は充分知っている筈だから、すぐに決めるだろうしグズグズしていられないだろう。一部の人がいっている様に、あまり無理をしないで、次期総裁を決めるなんて呑気なことを考えていたら、決まった時分には、政党はあっても国民との関連が無くなっているだろう。(略)
(「政界立腹帖―一寸一言・八つ当り集」<『文藝春秋』一九五六年十二月号>より)

 
 国家補助金を当てにするな
 
 事業が苦しくなって来るにつれ、国家補助金を当てにする気分が大分頭をもち上げて来たらしい。新しい日本としては、ドッジさんじゃないが、補助金の制度は止めた筈だ。私は原則的には補助金制度など大反対だ。今、補助金、補助金と叫び出している御連中にしても、何ヘン景気とか何とか言って金がもうかって仕様がなかった時には、税金以上のものを国家に自発的に納入する意志があったろうか。インチキの社会主義者みたいに「私が林檎を一つ持っている。この林檎はみな私のもの。貴方が林檎を一つ持っている。その林檎の半分は私のもの」なんていう様な差引両取り、丸もうけなんていう考え方は、この頃はやりもしないし、通じるわけもない。どうしても或る産業の補助金を交付する必要があるのならやるがよい。然し私はその補助金をやるのに条件をつけたい。
 一、政府は補助金を授ける会社の経理を厳重に監査監督すること。
 二、その会社の利益が或る程度以上になった時にはその超過分に対して累進的に重税を課すること。
 三、その会社の経営に当る人事に就き政府が或る種の発言権を持つこと。
 大体補助金をやってまで運営しなければならない会社が、日本にあり得るとは私は思わない。
 (略)補助金が無ければやって行けぬ様な産業はこの際思い切って止めるのがよい。国家の経済環境はそれ程貧困なのだから。 
 (略)私の言いたいことは、もうそろそろ好い加減の一時しのぎやごまかしは止めた方が好い。もっと根本的に我国の経済の現状を直視してその将来を考えるが好い。
(「頬冠りをやめろ―占領ボケから立直れ」<『文藝春秋』一九五三年六月号>より)