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ひと場面・ひと台詞
≪―12月の舞台から― 『元禄忠臣蔵』「仙石屋敷」 作・真山青果≫

[二]
仙石伯耆役宅、表玄関。
(中略)
大石主税以下十人、上使らに目礼して玄関を出て、奥平らにも式体しつつ、正面の方に出で去らんとせしが、主税は後に心を残すものの如く、父内蔵助のいる奥座敷の方を見返り見返り躊躇のさまあり。堀部、大高の両人、二、三度これを促し立てて立ち去らんとす。
堀部   (小声ながら、鋭く)ええ、未練じゃ。
主税   いえ、未練ではござりません。ただ一言、父上に申し残したきことがあって…。
大高   (顔を寄せて)丹波におられる母上の事か。
主税   いや、さようの儀ではござりません。ただ一言申して、父上を安堵させたきことがございました。
堀部   ええ、後になってそれを思い出すのが未練だ。行かッしゃい。
主税   はい。
 主税、むッとして行かんとする時、すれちがいに、熊本の城主五十四万石、堀川越中守綱利の家来、三好藤兵衛、堀内平八の二人、前と同様の姿にて式台前に膝まずく。
三好   は、細川越中守家来にございます。今日の御預かり人、大石内蔵助、吉田忠左衛門、原惣右衛門以下十七人御受取りとして、江戸家老三好藤兵衛、罷り出でましてござります。
鈴木   さすがは御大家、御苦労に存ずる。
三好   はい。
 この間に細川家の預かり人、大石、吉田ら十七人出で来り、上使らに目礼して式台に立つ。この時花道にかかりし主税は、父の姿を見て、また馳け戻らんとするを、堀尾支う。
主税   父上。
内蔵助  主税。この上は、世上百万の眼が、我が身に集まることを忘れるなよ。
主税   はい。
内蔵助  (さすがに眼をしばたたきながら、声を潤ませ)安兵衛。
堀部   は。
内蔵助  形体は大きゅうても、主税は十五歳。まさかの時に顛動せぬかと、親の愚痴ながら…それのみが気遣わしい。
大高    (思わず声を絞って)源吾がついておりまする。
堀部   安兵衛もおります。決して、見苦しいさまは致させません。
内蔵助  おお、二人の衆に、頼みます。
主税   父上―。主税が父上に、一言御安堵願いたかったのは、その場合の覚悟にござります。
内蔵助  死ぬというは、大事じゃぞ。心ある者も…顛動するものだ。かねての父の教えを、忘れるなよ。
主税   はい…(と涙に落ちんとせしを耐えて)父上、御免下され。(つかつかと、歩み去る)
 内蔵助、一種の微笑を浮べて主税の後を見送りたる後、静かに草履を穿き、迎え人三好藤兵衛らと式体し、粛然として歩む。
玄関の間、正面の襖をサッと開き、仙石伯耆守久尚出で来り、玄関に立つ。
仙石   内蔵助。
内蔵助  (久尚を見て驚き)おお、これは―。
仙石   さてさて内匠頭どのは、よき家来を大勢抱えられた。かかる主に、かかる衆を股肱と頼めば、如何なる御用も勤まるべきに、あッたら事に身を果させ…、いや、上お役人中も、とりどりの御賞美じゃ。やがて目出たきお裁きある日を、相待たれましょうぞ。
内蔵助  ただ、恐れ入り奉ります。
仙石   (手を上げて)いざ―。
内蔵助  御免下さりましょう。
 仙石らの目送のうちに、内蔵助悠然として門外に歩み去る。

真山青果著『元禄忠臣蔵』(下)岩波文庫1982年刊

『元禄忠臣蔵』「仙石屋敷」
平成18(2006)年12月 大石内蔵助=九代目松本幸四郎
初演 昭和14(1939)年1月 大石内蔵助=二代目市川左團次