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「文化庁予算の大幅削減」について考える(六)

 佐々淳行氏の著書 『わが上司 後藤田正晴―決断するペシミスト』 (文藝春秋、2000年刊)を読んでいたら、「文化庁予算の大幅削減について」考える参考になる記述が多くあった。そのいくつかを、このブログの「推奨の本」の体裁で紹介する。

 圧巻だった「後藤田五訓」
 総理府一階の大会議室で催された内閣五室制度発足の式典における後藤田正晴官房長官の初訓示は、圧巻だった。
 「……以後、諸君は大蔵省出身だろうが、外務、警察出身だろうが出身省庁の省益を図るなかれ。
 『省益ヲ忘レ、国益ヲ守レ』。省益を図ったものは即刻更迭する。
 次に、私が聞きたくもないような、
 『悪イ、本当ノ事実ヲ報告セヨ』
 第三に、『勇気ヲ以テ意見具申セヨ』。「こういうことが起きました、総理、官房長官、どうしましょう」などというな。そんなこと、いわれても神様ではない我々、何していいかわからん。そんな時は「私が総理なら、官房長官ならこうします」と対策を進言せよ。そのために君ら三十年選手を補佐官にしたのだ。地獄の底までついてくる覚悟で意見具申せよ。
 第四に、『自分ノ仕事デナイトイウ勿レ』。オレの仕事だ、オレの仕事だといって争え(積極的権限争議)、領海侵犯をし合え(テキサスヒットを打たれないよう)お互いにカバーし合え。
 第五に、『決定ガ下ッタラ従イ、命令ハ実行セヨ』。大いに意見はいえ、しかし一旦決定が下ったらとやかくいうな。そしてワシがやれというたら来週やれということやないぞ、いますぐやれというとるんじゃ、ええか」
 隣りにいた国広外政審議室長が横腹をこづく。耳を寄せてきき耳たてると、「五項目、いう時、官房長官、佐々さんをにらみつけていたよ」と囁いた。
 
 実に簡にして要を得た名訓示だった。
 この五項を私は「後藤田五戒」または「後藤田五訓」と名づけた。
 この五訓を裏返すと、まさに危機管理最悪の敵の「官僚主義」になる。「国益」をそっちのけにして「省益」を争い、「悪い本当の事実」は報告せずに上司に耳に心地のよい情報ばかりあげ、大事な時には「意見具申せず」沈黙し不作為を守り、何か起きると「オレの仕事ではない」と消極的権限争議に耽り、「決定」が下っても従わず、「命令」はなし崩しにウヤムヤにする……これが「官僚主義」なのだ。
 ときの内閣五室長は、この後藤田五訓を忠実に守り、憎まれ役覚悟でそれを実行し、顔を見合せていいあった。
 「オレたちは隠密同心、内閣のため国益優先で本気でやったら、親元には戻れなくなるな、死シテ屍、拾ウモノナシだ」

 官房長官は国家行政組織法で設置された二十一省庁の役人たちの要で、政治と行政のジョイントである。だからこの要のポストに座る人が、
 「悪い報告をした部下をほめよ、悪い報告をしなかった部下を罰せよ」(五世紀。フン族のアッチラ大王)という発想の持ち主で、
 「よい報告は翌朝でよいが、悪い報告は即刻我を起こせ」(ナポレオン)
 という情報処理マニュアルを部下に示してくれる政治家だと、各省庁の次官・局長・官房長は、自省庁の大臣にもいい難いことを持ち込み、まるで「駆け込み寺」みたいになってしまった官邸にきて、後藤田長官や藤森副長官、さらには、お耳役の私たち室長に耳打ちして、重荷をおろしてサッパリした顔で帰ってゆく。
 
 「後藤田五訓」は様々な波紋をよんだ。
 その一つは、大蔵省の反応である。
 私たち新設の五室の職員たちが室長以下感激に浸っている頃、ときのY大蔵省事務次官は大蔵省幹部に対し、「後藤田官房長官がなんといおうと、大蔵省は大蔵省の『省益』最優先だぞ」という訓示を下したという。
(「第三章 内閣安全保障室の誕生」より) 

 最初の試練・大島三原山噴火
 後藤田官房長官が心配したとおり、もしも三原山の溶岩流が元町をのみこみ、さらに海中に流入したら、一大水蒸気爆発が起こり、大島一万三百人の住民と三千人の観光客の大多数が吹っ飛んでしまうだろう。
 まさに「多数の人命を脅かす治安問題にかかわる大災害」だ。
 国土庁は、夕方から十九関係省庁の担当課長を防災局に集めて延々と会議を催しており、官邸には一報もしてこない。
 こちらから私が電話をいれても、藤森副長官が名を名乗って電話しても、「会議中です」の一点張りで埒があかない。
 藤森副長官は、「国土庁に任せておけない。これは伴走しましょう」と方針を示す。
 会議嫌いの後藤田官房長官が怒り出した。
 「なんの会議をやっておるのか、議題は何か、すぐきけ」との仰せ。
 正規のルートでは、国土庁長官から内閣総理大臣へ情報報告がなされることになっていて、官房長官、副長官には制度上入らないようになっている。だから裏から手を廻して、一体なんの会議をやっているのか調べてみて驚いた。
 第一議題は「災害対策本部の名称」。
 大島災害対策本部か、三原山噴火対策本部か。
 第二議題は、「元号を使うか、西暦にするか」。昭和六十一年とするか、西暦一九八六年にするかだという。
 なんでそんなバカなことを……ときくと、万が一昭和天皇ご高齢のため、元号は変るようなことがあれば……、しかし、西暦は前例がないからと議論しているという。
 第三議題は、臨時閣議を招集するか、持ち回り閣議にするか……だそうだ。

 後藤田官房長官にその旨報告すると、一瞬絶句したが、
 「そんなことしてると、一万三千人の人名が危い。よし、内閣でやろう。協定もへったくれもない。安保室長、君、やれ」
 と瞬時にして命令が発せられた。

(略)国土庁の会議は続いている。
 官邸では中曽根総理直接指揮の下、平沢秘書官と私の参考通報が効を奏して後藤田官房長官のところに関係省庁の局長級が自発的に参集し、テキパキと大救出作戦が進行していた。
 十九省庁の関係課長たちは国土庁で会議中だが、官邸には局長レベルの危機管理委員会がアドホックに編成されて機能しているという、およそ非官僚的な、政治主導型官邸直率型の災害行政が行われているのは、誠に壮観、奇観だった。

 国土庁の会議が終わったのは午後十一時四十五分。彼らが外へ出てみると官邸を中心に大島島民と観光客あわせて一万三千三百人の大救出劇がすでに進行していた。
 約三時間で海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の巡視船艇、東海汽船のフェリー船など、約四十隻が大島に集結し、元町港、波浮港などから老若男女の避難民を海上に脱出させる救助活動が行われた。
(「第五章 総理官邸の「危機管理」より)


 商魂が士魂を辱めた「リクルート事件」
 リクルート事件というのは、「金爵結婚」(明治・大正時代、華族と成金とが結婚したこと)だったと思う。
 同じ時期に大学を出て、私企業に入って利潤追求するよりは、法律と税金による予算とを使って、天下国家の大計、外交とか財政とか通商政策とか治安防衛とかを実施できる政治・行政の道を選んだ者たちが、日本の行政を支えてきた。
 しかし、その中には、定年が近づくにつれ退職金で家も買えず、子弟の大学教育や結婚の資金に苦労し、年金もつかない勲章という「名誉」だけが残る第二の人生に想いを致すような者もいる。
 他方、日本経済の発展と国民の生活の向上のために、また、家族にも豊かな生活を、と孜々営々努力し、成功した経済人の多くは、社会奉仕のために政府審議会委員になったり、各種のボランティア活動をするようになる。だが、中には、勲章とか宮中晩餐会や国賓行事への招待、栄誉礼など、社会的地位や名誉がほしくなってくる者もいて、名誉職である経済諸団体の役員や各省庁の各種審議会の委員に就くための運動をし、勲章に至る大臣表彰、褒賞などの加算点稼ぎに時間と金を費やす。
 だからリクルートの江副会長は、有力な政治家、経済人、マスコミの大物に利益供与し、褒賞、勲章への道である労働省と文部省に贈賄することとなったのではあるまいか。
(略)退官間近の高級官僚は、マイホーム・ローンとか、子弟の教育費とかに追われて、リクルート株を買う三千万円なんていう現金がある訳がない。「そこへ、貴方のような方にわが社の安定株主になって頂きたい。三千万円お出しになればすぐ五千万円になって返ってきます。お金がない? それはご心配ご無用。リクルート・ファイナンスが無利子・無担保、ある時払いの催促なしでお貸しします」とくる。
 二千万円の臨時収入といえば三十年公務員として勤務して手にする退職金の半分ぐらいにあたる。
 だが、待てよ、公務員が株式に手を出していいのだろうか? 公務員倫理観がブレーキをかける。
 すると「歴代総理や現職大臣、党三役も野党もマスコミも財界人もみんな買ってます。お堅いので有名な文部・労働の次官も買ってます」とさらにいわれれば、ではオレも大丈夫かな、買ってみようかとなる恐れは、誰にでも多分にある。
 それだけに、リクルート事件というのは、封建時代や戦前の「金爵結婚」の匂いがたちこめる誠に不愉快な事件で、まさに「商魂が士魂を辱めている」戦後日本を象徴する事件だったのである。
(「第六章 ポスト後藤田の「危機管理」」より)

≪後藤田五訓≫
『省益ヲ忘レ、国益ヲ守レ』
『悪イ、本当ノ事実ヲ報告セヨ』
『勇気ヲ以テ意見具申セヨ』
『自分ノ仕事デナイトイウ勿レ』
『決定ガ下ッタラ従イ、命令ハ実行セヨ』