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「新興院伎樂杏花日榮居士」

 ――彼が二千六百年を契機として實現せんとしてゐた計劃内容を、誰よりも、よく知つてゐた岡鬼太郎は、讀賣新聞紙上で、「まことに残念なことでした。友人として唯々丈の逝去を悼むばかりです。先代の『新しい表現』を受け継いで、苦境時代に處して仕事をするのにも、自分一身のほかには味方はないといふ信念で、松竹合名社時代に大谷氏と最初に結びあつて以来不屈不撓の奮闘を續けて来ました。世の中もますます變る時、順境に漸く達した丈に、元気を恢復して、じつくりと仕事をして貰ひたかつた。ただそれだけが残念でなりません。」と追悼をした。
 外務省の柳澤健は、「彼はわが歌舞伎を海外に紹介した第一人者であつたとともに、海外の新聲を我が劇壇に齎らした先覚者でもあつたのである。謂はば彼は我が劇壇に於ける唯一の國際文化人であつたと言つてもいいのだ。その巨木が今倒れたのである。名優サラ・ベルナールの死に対して、國葬を以て酬いた佛蘭西と國情の違つてゐる我國としてはたかが一俳優の死に対して、何もやつてやれぬことは自分でもよく判つてはゐるが、せめて國際文化の交流に関心を持つ者だけでも、心からの弔意を、彼の墓前に捧げる事にしたい。」と述べて居た。
 (略)會葬者は數千名に達し、劇壇文壇其の他あらゆる方面からの弔問客が限りもなく續いたのであつた。其の中でも前進座と新協劇團の全員が各劇團旗を推し立てて参列したのは、(略)単なる歌舞伎俳優にあらずして、我國新劇の開拓者である事を如實に物語つてゐたのであつた。
 (略)彼の精神は、常に演劇の為、文化の為に盡力する人々の血管のなかに、至誠熱情の脈博を、此世のあらん限り、人類のあらん限り、打ち續けて行くであろう。否、彼の人生に対する真摯な生涯の物語は、劇界のみならず、人生のあらゆる部門に活躍する人々にとつて、偉大なる亀鑑として永遠に語り継がれるに違ひない。
 彼の生涯は、俳優として藝術家として偉大であつたと云ふよりも實に人間として偉大であつた。彼は其の生涯を通じて我々に「俳優修業の道は、すぐれたる演技システムによつて技術を高めると共に、人間としての自己を磨くところにある。俳優には生れつきの才能、直覺力、勘のよさと言つたものも勿論必要ではあるが、それと同時に、智的な教養がなければならない。殊にこれからの新しい俳優には、『知性』といふものが『感性』に劣らない位に大切なのである。卑俗なメロドラマを演じる場合はいざ知らず、藝術的なものであればあるほど、内容の深い掘り下げを要求してゐる。そして、深く掘り下げる力は、理解し分析する力であり、智性の力である。かういふ深く細かく分析する智力、教養によつて研かれ豊かにされたセンス――それが新しい俳優の資格である。」と云ふ事を證據立ててくれたのであつた。
 (略)「俳優は人間的に立派でなければならぬ」と云ふ眞理だけは、永遠に生きてゐるのである。――

 きょう2月23日は、不世出の歌舞伎俳優・二世市川左團次の69回目の正忌である。
      <松居桃楼著『市川左團次』(昭和17(1942)年刊)から採録した。>