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推奨の本
≪GOLDONI/2008年2月≫

三島 由紀夫 『若きサムライのために』
 1996年  文春文庫

三島 といふのはね、やっぱりキリスト教対ヘレニズムといふやうなもんなんだよ、いまわれわれが当面してゐる問題は。結局ね、世界をよくしようとか、未来を見ようとかいふ考へと、未来はないんだけれども、文化といふものがわれわれのからだにあるんだといふ考へと、その二つの対立だよ。
福田 ぼくはベトナム戦争はイ・ロジカルなものにたいするロジカルなものの敗北だといふ考へ方には同意できないけれど、今の文化論は全面的に賛成だな。伝統だとか、文化とかいふと、なんだか唯美主義に聞えるけれども、実は決してさうではなくて、たとへばうまいソバが食ひたい、それを作つてもらひたいといふささいな日常的な生き方に至るまで、われわれの生き方を守るといふことでしかないんだよ。ところが、さういふものを、明治以来がむしゃらのやうになつてぶつつぶしてきたわけだ。それで先進国とかいふものになつて、やつと夢はかなつたんでせう。敗戦はしたけれども、そのおかげで先進国にのしあがつた。さういふことに日本人としての誇りの拠りどころを求めるといふのが関の山で、日本の文化を守らうなんて言つてもぜんぜん通用しない。
 もちろん、役人も一応それは考へるわけだ。でも、あの人たちが日本文化を守らうといふのは、せいぜい国立劇場をつくるといふことくらゐなんだ。それで、歌舞伎とか、伝統芸術を保存しようとする。
 ところが一方、学校教育では、歌舞伎を理解できず、感心も持てないやうな教育をしてゐる。つまり古典殺しをやつてゐて、その殺したやつを昆虫標本のやうに国立劇場で保管しようといふわけだ。歌舞伎を国民生活の中に生きたまま動かしつづけようとするのではなくて、博物館の中にミイラとして保存すること、それが文化に関心を有する政治家、役人の文化政策といふものです。

 日本の官僚は左傾する?
三島 だから、「文化を守る」といふことは、「おれを守る」といふことだよ。福田さんもさう思つてゐるだらう。
福田 さう、おれが文化だもの。
三島 やつぱりそれしかないんだ。
福田 だけどそれがね、いまの教育ぢや、文化を守るといふことはおれを守るといふことにつながつてゐないでせう。
三島 つながつてない。日本の官僚の文化政策といふのは、みんなそんなところなんだ。啓蒙主義と、明治の文明開化主義を一歩も出ない。文明開化主義と啓蒙主義では、日本の文化は絶対守れない。
 左翼は一方、そういふことをやつてゐるか。民衆芸術は食ひ込む。そして民衆芸能や、民衆のための芸術を発掘してだね、そのものを生々と民衆の手に戻さう、彼らは彼らでさういふことを一所懸命やつてゐる。
福田 だけど本質的にはおんなじなんだよ。
三島 つまり官僚の啓蒙主義とね、左翼の民衆芸術といふ観念は、おんなじものだよ。だからぼくは、一番日本の官僚が、いまに左傾すると思ふ。
福田 さう、さう、さう。
三島 ある雑誌で読んだんだが、『週刊文春』だつたかな、日本の高級官僚の半分以上が、三分の二だつたかね、社会党政権のある時点における成立の可能性を信じてゐるといふやうなね、官僚そのものが。大東亜戦争もだね、満洲事変もさうなんで、満洲事変における官僚のあれ、それから昭和十年代における新官僚のやつたこと、これがまたね、繰り返されてるから教育問題といふのはこはい。
福田 本質的に同じならね、左翼の方が勝つにきまつてゐるんだよ。
三島 さうなんだ。
福田 それはもう徹底してゐるからね、勝つにきまつてゐるんだ。さういふことを有能なる官僚は感じてゐるでせう。
三島 だから、いまのうちから仲良くしておかうといふんだよ。
福田 さうだ、さういふことなんだよ。悲観的になつてきたぢやないか(笑)。だけど、これは本当だよ。笑ひごとぢやない。
三島 危険だよ。さういふことはほんとに危険だ。ぼくは実際にあそこに近づいてね、さういふことが非常によくわかつた。
 あなたは前から国語問題で文部省関係のこと、ぼくは国立劇場関係で少し実態をつかんでゐて、なるほどと、文化の本質的な重さといふのがわからないんだよ。

 「文化を守る」ことは自分を守ることだ
福田 さうだね、いま言つたとほり、文化を守るといふのは自分を守ることだといふのはね、多少とも文化が自分の中に浸み込んでゐるからなんで、さうでなければ、自分を守るといふのはただ自分の生命を守るといふことだけになつちやふんだ。
(「文武両道と死の哲学」<対談>福田恆存 より)