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「新国立劇場の開館十年」を考える(十一)
≪就任会見で「専念しない」と発言、朝日新聞に「無自覚」と批判されたNHK会長も兼ねる新国立劇場の理事職≫

 一月二十四日(木曜日)付の朝日新聞朝刊のオピニオン欄「私の視点」には、元TBS企画局長・田原茂行氏の「NHK新会長に望む三つのこと」と題する意見が載っている。翌二十五日に就任する福地茂雄氏への期待として書かれたものだ。田原氏の主張は、まず、組織の指導者としてどんな考え方の持ち主かを、視聴者にもNHK職員にも理解させるべく語ること。(英国BBCの会長は公募制であり、候補者はマニフェストの提出を義務づけられており、これが会長としての活動の基礎になっている。)その二は、全職員のモラルの根拠となる自立性の強化を図る。(現在のNHKには、元報道記者を中心にして、国会議員に密着して予算案の根回しを行う総合企画室があるが、今後はこの根回し専門組織の見直しと、視聴者への説明責任に軸足を置く体制作りをすること。)その三は、その具体策としての情報公開制度の抜本的な改革。(民放各局の「自己批評番組」のようなレギュラー番組を作り、視聴者と番組制作者が対話する番組が本質的な双方向性を確保する有力な手段である。)の三点だ。放送界、ジャーナリズムのことについては詳しくないが、それでも読んでみれば至極妥当と思われる意見である。特に、新会長がその活動の指針にもなるマニフェストを作成し、視聴者、職員に明らかにすべきとの考えは、経営委員会の委員長、そして新会長が保持していておかしくないものだろう。経営委員会が福地茂雄氏の会長就任を決定したのは昨年十二月二十五日、就任までは丸一か月あったので、二十五日の就任記者会見では、マニフェストの形かどうかは別にして、具体的な指針が出るだろうとは思っていた。
 一月二十六日付の朝日新聞朝刊の1面には、「法令順守を風土に」の三段見出しで会長就任記者会見の模様が、2面には解説記事「福地NHK改革へ背水」が、そして3面には社説「報道機関を率いる自覚を」が掲載されている。記事によれば、「昨年の就任内定から1カ月。日課のウオーキングも控え、好きな本は1冊も読まずに準備していた福地氏だが、「まったく未知の分野。つめの先ほども分かっていない」。手探りの船出であることを認めた」そうである。「知識を持っていない」「把握していない」(福地会長)を連発して、答えに詰まった、ともあり、「白紙」「(検討は)まだこれから」との発言が目立った、ともある。まあ、何とも心もとない有様で、丸一か月の準備期間に、経営者としての活動指針を準備できなかったようだ。また、NHK会長に決定する前から就任していた企業メセナ協議会理事長、東京芸術劇場館長の職については、「非常勤、無報酬、非営利で会長業務には支障がない」との理由で辞めないと述べた。未知の分野を爪の先ほどにも判っていないと謙虚な姿勢を見せたその後で、会長業務に支障がないのでNHK会長職に専念しないで他の職も兼任するとの発言は、如何なものだろうか。
 NHKの会長は二代続けて引責辞任を強いられ、二十年ぶりに民間から、それも放送界でもジャーナリズムとも無縁な、ビール会社の元経営者が、自ら語るように「未知の分野」への「手探りの船出」をする。にもかかわらず、NHK会長職に専念しない。この件について、古森重隆経営委員長、或いはNHKを所管する総務省の増田寛也大臣へは事前に了解を取り付けていての発言か。務め始めてもいない会長業務に「支障がない」と即断する根拠は何か。朝日の記事、他紙の記事にもこのことへの言及がない。もし、そうであれば、新会長だけでなく、古森、増田両氏の現状認識、見識の低さが問題となろう。
 朝日の社説は、「福地氏には本当に危機感があるのか、疑問を抱かせることもある。NHK会長になったのに、企業メセナ協議会理事長や東京芸術劇場館長を辞めないことだ。「会長としての業務執行に影響しない」というのだが、ここはやはりNHK会長に専念すべきだろう。報道機関を率いる自覚を持って、改革の具体策を急がねばならない。視聴者はいつまでも待ってくれない。」と結んでいる。
 NHKの会長職は、職員一万二千人、系列三十数社(団体)を合わせれば一万数千人の組織の最高責任者である。その人物が職務に専念しないで良いはずがない。二十年前に三井物産の経営経験を買われてNHK会長に就任したが、就任当初から失言が目立ち、「不適任」として九カ月で辞職させられた池田芳蔵氏の先例を、福地氏はどう理解しているのだろうか。専念したところで、国会や総務省、あるいはNHK本体から「不適任」と批判され、辞任させられた場合、その後に活躍する場がなくなることを懸念しているのだろうか。 
 企業メセナ活動や、都立の劇場の活動を、手弁当・費用の持ち出しになってでも続けていきたいとの高い志には共感を覚える。功成り名を遂げた企業経営者ばかりの話ではない。中央官庁の高級官僚出身者が、悪評高く、卑しい処世の「天下り」などせずに、第二の人生として社会貢献・文化貢献に努めたりする姿は、国民の範ともなるものだ。成功者、人の上に立つ者は斯くあるべしと思う。

 NHK会長職が専念すべき務めか、兼任でも務まる職かの判断がつかない人物が、無償で活躍しようとするメセナや舞台芸術の世界とは、なんと軽々しい、まさにビールの泡ほどに軽いものか。
 福地氏は新国立劇場の理事職を兼ねているようだが、こちらのポストでどんな貢献をしているのだろうか。企業のメセナ活動の振興、劇場の運営が片手間で出来るものとの判断でもあろうが、何にしても困った話ではある。