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「閲覧用書棚の本」其の四。『歌舞伎劇の経済史的考察』

今回は、山本勝太郎、藤田儀三郎の共著『歌舞伎劇の経済史的考察』(寶文館、1927年刊)を取り上げる。
当HPに先月から掲載した拙文『八世市川団蔵について』や、2005年6月4日付の『提言と諌言』にも登場する小汐正実氏は、旧制高校生か京都帝大生時分に歌舞伎をよくご覧になっていたようで、経済学部の卒業論文では、歌舞伎小屋の木戸銭と諸物価の比較をしたと伺った。お目に掛かった昭和47年には、既に丸金醤油の役員を退いておられた。その頃の氏はたぶん七十歳代、この本が書かれた大正末・昭和初期、京都や大阪で歌舞伎と親しむ、教養のある、時代の学生だったのだろう。その時分に、氏もこの本を読まれたかもしれない。そんなことを思いながら今回久しぶりに再読した。

「歌舞伎芝居に現れたる江戸と大阪」
江戸の町人の経済観念は極めて幼稚なものであった。理財の事を談ずるは士君子の恥辱なりとした封建武士の経済観念と餘り距りはなかったのである。上方下りの豪商や、上方商人の出店は別として、少く共江戸に永住し、江戸の氣風に染つた者達の間には、どうしても武士から受ける感化影響は避けがたいのであった。元禄時代の江戸歌舞伎の荒事は勿論の事、南北黙阿彌の「金」を扱つた作品の中にも、上方町人の抱いて居つた様な執拗な「貨幣禮讃」「拝金思想」を認むることは却つて困難である。少く共所謂江戸ッ子の連中には、依然として幼稚な、大數的な、非経済的観念が存在して居つたのである。黙阿彌の舞臺にも随所にその氣風が見受けられる。
(中略)夙に経済的発展の過程を踏んで来た商都大阪には斯様に早く「金」の芝居が出て、そしてその舞臺の上には、かくの如き貨幣禮讃の思想が演出されていた。彼らはその金權の王城に據つて武士を征服し、屈従せしめたにも不拘、猶且武士と妥協して「町人道」を築き、「商賣冥利」を確心して、愈愈その本領を發揮して行つたので
ある。然るに、武士の都たる江戸に於ては、永く「金」の芝居を見る事は出來なかつた。江戸の町人達は、武士に反抗し乍ら、而もその武士氣質に魅惑せられて、いつまでも封建武士流の幼稚なる経済観念の圏域を脱することは出來なかつたのである。大阪町人が新生の資本主義経済の大潮流に飛込んで、町人社會建設の新舞臺に華々しく活躍して行つたのに對して、江戸の町人、就中「江戸ッ子」は遂にブルジョワ経済の眞髄を理解することは出來なかつたのである。そして商都大阪と武士の大城下江戸と―この両都に於ける経済観念の進歩發達のこの相異がかくも顕著に舞臺の上に演出せられたるとき、上方芝居と江戸歌舞伎との對照は、竟に舞臺の上の興味を超えて、われらに對してかくの如き注目を投ぜしむるの至つたのである。