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新国立劇場の『海外招聘公演』

今年はドイツ年(『日本におけるドイツ2005/2006』)ということで、3月にはフォルクスビューネ劇場、6月にはシャウビューネ劇場が来日した。同時期の6月下旬、劇団ベルリナー・アンサンブルが、ベルトルト・ブレヒト作、ハイナー・ミュラー演出の『アルトゥロ・ウイの興隆』を新国立劇場で公演した。新国立劇場の海外招聘公演は、2001年9月のアリアーヌ・ムヌーシュキン率いる太陽劇団以来、このベルリナー・アンサンブルで4回目。02年9月に行われたペーター・シュタイン演出の『ハムレット』(モスクワ国際演劇協会製作作品)については、同劇場の演劇部門芸術監督の栗山民也氏が、この作品を招聘する事を条件に芸術監督を引き受けたと、どこかで発言していたことがあり、遠来の客への社交辞令を弁えた物言いを知っていることに感心した事がある。ただ、この発言が(無論、この姿勢が、である。)が災いしたか、足元を見られたのか、法外とも思える上演料を先方に払ったと、演劇業界の噂に疎い私も、新聞記者やフランス演劇通から度々聞かされた。前後するが、太陽劇団の公演では、パリ・ヴァンセンヌにある彼らの拠点である旧弾薬庫=カルトゥシュリーを模しての事か、奥舞台をステージに、主舞台を客席に変えるなど、中劇場を長期間にわたって閉鎖しての大掛かりな改装を施し、その無駄な金と労力と時間の浪費が公演以上に評判を取った。この4月に、東京都現代美術館の隣りにある木場公園で仮設の劇場を作って公演した『ジンガロ』を観て思ったが、新国立劇場の栗山氏や制作担当者は、都内の空き倉庫を探してでも、あるいは『ジンガロ』のように仮設の劇場を建てるなどの方策をなぜ採らなかったのだろうか。
 採算は無論考慮せず、穴は税金で埋めれば良いとの無責任な役人根性すら透けて見える製作姿勢だと思ったが、これは私の偏見だろうか。