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『新国立劇場』への諌言の波紋

5月25日の『提言と諌言』で、新国立劇場の井上ひさし氏の新作『箱根強羅ホテル』の製作姿勢について、劇場の管理運営の杜撰さを含めて指摘した。普段は日に百件のアクセスも望めないブログだが、せっかく指摘させて戴くのだからと、メールアドレスを交換している方のうちの二百名ほどに、その旨のご案内をメールでお送りした。その直後から、ご自身の加入しているメーリングリストで、このブログを紹介して下さるとか、メールを転送したり、FAXやプリントアウトなどして、他の方へ一読を勧めて下さるなど、私の予想を超え、多くの方に読んで戴いたようで、ブログのアクセスは掲載からの一週間で二千を超えた。官の劇場としては想像通りの無責任な製作態勢、井上氏の台本が公演初日の三日前に仕上がる、という異常事態を指摘する内容を含んだものだったが、読後の感想を寄せて下さった方々の多くは、もっぱら演劇関係以外の方々。その中でも、文部科学省、文化庁との関わりのある教育や美術などを専門とする方々は、異口同音、「新国立劇場でも、本省や他の官立の施設と同様、無責任な、如何にもの予算消化、その場凌ぎの仕事をしているのか」と、怒りや失望をメールや電話で語っていた。
今回の私の指摘について、演劇関係なかんずく、井上氏と親しいらしい新聞記者や批評の人たち、劇場関係者から、「井上さんが遅筆なのは有名」「チケットは公演の初日が延期されることを見越して、後半を用意するのが通というもの」などの感想があり、概ね、「そんなことも知らなかったのか」「騒ぎ立てるほどのことでもない」とでも言いたげなものばかりであった。古い話で恐縮だが、雑誌『文芸春秋』による田中角栄金脈追及の折、立花隆氏らの追及した内容に、全国紙の政治部社会部の記者などマスメディアの者達が、「そんなことは前から知っている」と冷笑した、と聞いたことがある。だったら何故書かない、と当時憤ったものだが、久しぶりにそんなことを思い出した。立花氏らの追及と私の批判とは次元も違うし、時の権力者であった田中角栄氏と二大政党化の中で埋没する日本共産党の支援者の井上ひさし氏を同列に置く気もないが、権力者の取り巻きのような連中も掃いて棄てるほどいる新聞記者や批評家、いとも簡単に業界人に成り果て、観察者・批判者であることを忘れてしまうことは、政治でも演劇でも同じなのだろう、か。
「あんなことを書いてしまって、後々に困ることになったり、嫌がらせを受けるのでは」と親切心で忠告してくれる人たちからの連絡も数件あった。美術界に詳しい友人に、「今度の件で、文化庁のブラック・リストに載ったはず」と冗談口をたたかれたが、もともと当方の言動にさほどの評価がある訳でもなく、GOLDONIに文教族の国会議員は来ても文化庁の役人が来る訳でもなし、新国立劇場周辺の者たちの多少の無視、嫌がらせや中傷は続くにしても、当方に大きな被害やリスクはないだろう。
このホームページに、6月28日から、光産業創成大学院大学教授の北川米喜氏の『現代演劇と国家保護は矛盾する』を掲載している。ご一読をお勧めする。
最近の寄稿エッセイのコーナーには、武田明日香さんの『演劇の時間と空間』、菅孝行さんの『鎌倉大学の教育』、志村光一さんの『改革のスピードと大人の居場所』、の三本を掲載、明日からは平井愛子さんの『アメリカの演劇養成』の連載が始まる。
私は、二十歳の若書き、拙い小論である『八世市川団蔵について』を発表した。このブログでは、『閲覧用書棚の本』という本に纏わる小文を書き始めた。「長すぎる」と叱られること度々のブログだが、辛抱・覚悟してご笑読戴きたい。