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チケットをばら撒く『新国立劇場』

6月17日に三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで、シャウビューネ劇場の『ノラ』を観た折、ロビーで出会った制作責任者から、新国立劇場の『アルトゥロ・ウイの興隆』は集客が苦しそうと聞いたので、さぞ閑古鳥の鳴く客席になるのだろうと思っていた。しかし、22日の初日や翌日の公演を観た何人かの来店者に訊くと、満席ではないが八割程度は客席が埋まっていたという話で、最後になって営業努力や宣伝が効いたのかと思い、前もってチケットを購入していた28日の夜の公演を観に行った。中劇場の入口付近には、劇団四季出身の複数の職員始め、普段はロビーで見掛ける事のない多くの事務職員や技術スタッフなどが客待ちげに立っていたり、あるいは来場者と挨拶を交わしていた。彼らの何人かの手やポケットには、束になったチケットがあった。案の定、チケットが売れていたのではなかった。チケットをばら撒いたのだった。職員が待っていたのは、挨拶を交わしていたのは、只見の誘いに応じた演劇関係者や学生・養成所の生徒だった。
初日直前になって販売を諦めたのだろうか、職員、公演の舞台スタッフ、公演関係者から大学の教員、新劇団関係者や養成所などに、証拠を残さないためもあってかFAXではなく口伝てや電話で只見の誘いをしたようで、恒常的なことかどうかは知らないが、「動員」態勢を取ったのだろう。5月には、朝日始め何紙かの新聞劇評でも、井上氏の台本の遅れを指摘されたほどの演劇製作部門のていたらく、その直後の海外招聘公演の、目を被うほどの不入りが露見すれば、さすがに社会的な関心、批判を受けることにもなる。そんなことを恐れたのだろうか。ガラガラの客席では、ドイツからの遠来の客に失礼との配慮もあるだろうが、だとしたら、早くから劇場あげての本腰の入った販売努力があって然るべき。職員が一人あたり二三十枚のチケットを売っていれば、総キャパシティ七千席程度の興行としては成功裏に終っただろう。
今回の公演は、ベルリナー・アンサンブルへの出演料を含む総経費が何億円なのかは詳らかではないが、今回のチケットの売り上げでは、彼らの東京での滞在費用すら賄えていないだろう。
「新国立は只見が度々出来るので、チケットを買う必要がない」と、何人かの製作団体・劇場関係者や演劇批評・ライターが悪びれもせずに言った。只券を撒けば席は埋まるが、その連中は次もチケットを買わずに只見を決め込むだろう。
年間に50億円を超える税金が投入される新国立劇場だが、自腹を切ってでも観劇して、研究に励もうという心掛けとは無縁な、不心得な演劇人や関係者の、唯でさへ高いとは言えないモラルのますますの低下を助長している。看過出来ない事態である。
衆参両院の文部科学委員会なり財務省の主計局なり文部科学省なりが聴聞や監査・調査を、あるいは社会の木鐸たる新聞社の社会部あたりが調査取材をすれば、迷走する新国立劇場の運営の実態、チケットをばら撒いて席を埋めるなどという、怠慢で不謹慎なことが常態化しているのかどうかも明らかになるだろう。