2021年07月

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

アーカイブ

« チケットをばら撒く『新国立劇場』 | メイン | 先達の予想的中の『新国立劇場』 »

「閲覧用書棚の本」其の五。『獨英觀劇日記』

今回は穂積重遠著『獨英觀劇日記』である。東寶書店刊、定価三圓特別行為税相當額十銭との記載が奥付データにある。はしがきの書出しは、「芝居の面白い國は、いくさも強い」。如何にも戦時下の昭和十七年十月に刊行された本ではある。
「ドイツの演劇振り観劇振りは極めて眞面目で研究的だ。例へばベルリンのドイッチェス・テヤターでラインハルト演出のシェクスピア劇を續演してゐたが、その演出も舞臺装置も音楽も演技も極めて良心的研究的であつて、本場の英國では當時到底企て得なかつた本格的な紗翁劇であつた。」と、ドイツ演劇を称える。
本著は大正元年から五年まで、文部省留学生として独仏英米4国に派遣され法律学を修めて来た穂積重遠の観劇記である。重遠の父は、貴族院議員、枢密院議長を務めた法学界の重鎮・穂積陳重。陳重の妻(重遠の母)歌子は実業家・渋澤栄一の長女。この夫妻は芝居好きとしても有名で、孫にあたる西欧政治史専攻の東京教育大学教授・穂積重行が編んだ『穂積歌子日記』(みすず書房、1989年刊)には、夫妻や家族での芝居(歌舞伎)見物のことが頻繁に出てくる。明治から戦前までの一級の教養人にとって、芝居が如何に身近なものだったかが判る。劇通の教養人など殆どいなくなった現代、と言うよりも劇通も教養人もいなくなったこの時代、歌舞伎座や新国立劇場に集う観客が醸し出す、教養の無さ、素養の無さには呆れるが、それを指摘すべき見識と教養を備えた批評家もほぼ絶滅した。戦後六十年続く教養の瓦解は、モラルの崩壊同様に止むことがない。
教養と言えば、一般教養課程での穂積重行教授の講義を履修、謦咳に接しながら、何を教わったかは全く覚えていない。恥じ入るばかりである。
教養の無い私にもみえてきたことがある。
「芝居の面白くない国は、外交も含めたいくさも弱い」。

十二月十四日(日)
夜はドイツ座で「ハムレット」を観る。同座では目下有名なラインハルトの演出でシェクスピア物の研究的上演をやつてゐて、今までに「仲夏夜夢」「ハムレット」「からさわぎ」の三つを上場した。今週からは「ヴェニスの商人」が始まり、追々新しいものを加へ、取交ぜて御覧に入れるといふ趣向。「仲夏夜夢」はさきに見て非常に面白かつたし、又、「ヴェニスの商人」はキット面白からうと思ふから、律ちやん(次弟律之助、現海軍造船少将、當時佛國派遣中、年末にベルリンに遊びに來ることになつてゐた。)が來たらこの二つを見せることにしようといふ計劃だが、今日は單身「ハムレット」を観に行く。
ハムレットの役は目下同座の人氣役者たるアレキサンダー・モアッシーが演じる。どうも顔付に品がないので王子らしい所に乏しく、この點では東京で観た土肥春曙の方がまさつてゐるやうに思ふが、さすがにせりふ廻しの活殺自在な所、藝に力のある所などは勿論くらべ物にならず、チョイチョイよい所があつた。しかしこの役はすこぶるむつかしさうな役で、まだまだとても満點はやれぬ、まづまづ及第點といふ所であらう。オフェリアはエリゼ・エッカースベルといふまだ極く若い女優が勤める。中々可愛らしいが、甚だ未熟で持ちきれない。國王もポロニウスもあまり感心せず、先王の幽霊に至つては大下手糞、御蔭で肝心の「ゴースト・シーン」も凄くも何ともない。その中で抜群の大出來はローザ・ベルテンスの皇后、この女優は前に見た「デヤ・フェヤローレネ・ゾーン」の母の役でも感心させたが、中々上手だ。皇后としての品位、ハムレットに對する愛情、初めから何となく不安な様子等申分なく、随ってハムレットが母に迫る一場が一番の見物であつた。
要するに豫期した程は面白くなかつた。かういふクラシックの有名なものは、こちらの期待が大きいから中々満足させられにくい。それにこれはよほどむづかしい芝居だね。やはりヘンリー・アーヴィングのやうな大名優がやらなくてはほんたうに面白くみせられないこと、團十郎がゐなくては「忠臣蔵」らしい「忠臣蔵」が出せぬと同様であらう。
    (一六、ハムレット  ―ベルリン、ドイツ座―)