…綺堂老人は話題が広くて、座談の名手だった。酒席でも生来の下戸で、しかも座持ちがよかった例を古老から聞いたことがある。師匠筋に当る福地桜痴がそうだったらしい。会合ぎらいで、引き籠りが常であったが、来客は歓迎で誰とでも快く会った。みんな長っ尻で困るとこぼしていたが、客の方に言わせると、話の接ぎ穂が次々に芽をふいて、立ちにくいのであった。まんざらの人嫌いではないのである。
但しこの老人、若いときから癇癪持ちで議論好きで、喧嘩っ早かった。その気風は老年に及んでも時に爆発した。折り目を正す、筋を通すという段になると、決して妥協しなかった。誰からも、いい人だと褒められるようではダメだ、敵もあれば味方もあるという張りがなければ、これからの世の中に立っていかれないぞ。年少の気弱い私をつかまえて、歯がゆそうに、むきになって戒めたことがあった。一身のほかに味方なしという信条の老人は、自分自身にも甘えない剛気の姿勢を崩さなかった。
それなればこそ孤独だった。むしろ孤独を楽しむ強さがあった。下戸だから酒の上の失敗がない。旅が嫌い、会合が嫌い、徒党が嫌い、スポーツもギャンブルも嫌い、映画が嫌い、書画骨董あつめや、稀書珍籍をあさるのも嫌い、イデオロギーとセンチメンタル大っ嫌い、嫌い嫌いで、艶聞もなし。逸話のないのが逸話のようなものである。河竹黙阿弥は、おれの家は芝居にならねえと言ったそうであるが、綺堂老人にもスキャンダルの入り込む余地は全くなかった。
(略)読物は余業の心持だった老人は、半七も楽しんで書いていたらしく、その楽しさが読者にも伝わるようである。戯曲は、その作にふさわしい俳優が生まれなければ成功しない。綜合の仕事である。読物の方は独りで事足りる。綺堂老人の本業と余技と、どちらが後世に残るかは判らない。
それにしても、読物の方に向かっては、私の本業は戯曲ですから、無理な注文はお断りします。劇場に向っては、芝居で飯を食っている訳じゃありません。どうぞ他へお頼みなさい。そう言い得た二刀流の綺堂老人は、気に染まぬものへは、ひどく無愛想であった。…
岡本経一執筆『半七老人・綺堂老人』(「旺文社文庫版『半七捕物帳・五』解説」)より採録した。今日3月1日は、岡本綺堂の七十一回目の正忌である。