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「新国立劇場の開館十年」を考える(四)
≪六十歳で勇退したバイエルン歌劇場総裁≫

 前回、昨年春と今年4月に続けて書いた『バイエルン歌劇場総裁の講義録』のご笑読をお願いした。表示が最後の11回目からの逆順になるが、お読み戴きたい。
 http://goldoni.org/cat14/
 今回は、この10回目に書いた歌劇場総裁のピーター・ジョナス氏の退任について、一部を採録しながら書いてみたい。
  サー・ピーター・ジョナスは、サセックス大学で英文学を学び、マンチェスターとロンドンとニューヨークの音楽院の大学院課程でオペラと音楽の歴史を修め、キャリアの殆どすべてを歌劇場の運営に携わった人物である。
 ジョナス氏は、13年務めたミュンヘンのバイエルン州立歌劇場の総監督を、06年7月 のシーズン終了時に退任し、1974年に名匠ゲオルグ・ショルティ率いるシカゴ交響楽団のアシスタント、芸術監督(76年)になってからの三十年余のインテンダント生活に別れを告げた。講義後の質疑応答では、「インテンダントの仕事は、自分の生活を捨てるということでもあって」、「引退して、自分の生活を取り戻したい。そして趣味の長距離歩行をしたい」と語り、「スコットランドの一番北から、ヨーロッパの一番南のパレルモまで。それから、ワルシャワからリスボンまで。リュックを背負って、毎日20キロ、30キロの歩行をしたい。60歳からは人間の体は変わり、特に膝が駄目になり、1日20キロの歩行は67歳を超えると出来なくなるというので、出来るうちにやりたい」と語った。
 なお、ジョナス氏は次の言葉で締めくくった。
 ―我々は我々の感情、思考、感覚を伝えていかなければいけない。朝食の席とか、シンポジウムでは伝えられないものを、「舞台」では伝えられる。愛、憎しみ、感情、善悪ということはどういうものかを伝えられる。社会に生きるとはどういうことかというメッセージ、あるいはインスピレーションを、「舞台」の中に見つけることができる。コミュニケーションの最大最高の形態、それが私はオペラだと思っている。―

 欧米の著名な劇場の最高責任者は、オペラ製作であれ、演劇製作であれ、舞踊製作であれだが、創造集団、劇場出身の専門家であり、日本の殆どの公共ホール・劇場のトップのように、退役の官吏が役所の延長のようにして任ぜられることは有り得ない。
 新国立劇場の理事長、3名の常務理事の経歴については、いずれ詳しく調べて書くつもりだが、舞台芸術の専門家ではないだろう。舞台芸術や音楽の専門教育を受けてはおらず、またそのような職場に長く勤めた劇場人、舞台芸術の仕事に従事した実践家ではないだろう。舞台芸術、音楽との関わりも、子供のころにヴァイオリンを習っていた、学生時代にアンダーグラウンド演劇を観たことがある、大学の合唱団に所属していたなど、嗜みとも言えない程度のところだろう。それでも劇場のトップ、責任者のポストに就いたのには、相当な覚悟があってのことであり、相当の決断でもあったのだろう。無論、覚悟や決断で劇場運営幹部が務まるわけではないことは、余程の厚顔無恥な者でない限りは判っているだろう。役所や団体や民間企業の勤め人だった舞台芸術の現場を知らない素人の彼らは、劇場人としての知識技術の習得、舞台芸術のエッセンスだけでも獲得するという学習を、日常業務の中で、或いは業務外の時間を駆使して遣っているはずだ。   
 新国立劇場の遠山敦子理事長にとって、劇場トップとしての二年九か月はどんなものだったのだろうか。ジョナス氏言うところの「自分の生活を捨てる」ような日常、専念専心して、劇場トップとしての執務で忙殺される毎日を、任期終了まであと三か月の今も送っておられるのではないか。