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「新国立劇場の開館十年」を考える(三)
≪明暦・寛文期のインテンダント・村山又兵衛に学ぶ≫

 久しぶりに『役者論語』を読んでいて、二年ほど前の、このブログの「閲覧用書棚の本」に、十四冊目の本として紹介したことを思い出した。三百五十一年前の明暦二年、歌舞伎役者の橋本金作が舞台上で観客と口論になり、小刀を抜いてしまい、そのことで幕府(奉行所)から興行停止の処分を受けたという所謂「橋本金作事件」は、その折の京都の座元(劇場・興行主)であった村山又兵衛が、「御赦免」を求め、奉行所の表に起臥して毎日願い出ること十三年、遂に興行を許されるという、日本の演劇史上、興行史上で最も重要と思われる出来事について書かれている。
 ヨーロッパは歌劇場ばかりか、演劇専門の公共劇場、舞踊団などの舞台芸術の運営施設・団体のほとんどは、政府・自治体からの財政的支援を大幅に減らされている。そういう状況の中から、たとえばバイエルン歌劇場のインテンダント(総裁・劇場監督)だったサー・ピーター・ジョナス始め、演出家や製作者出身の優秀な経営者を輩出している。そうでなければ、厳しい状況を乗り越えられない。それは、オペラ(演劇・舞踊)への敬意と、組織や同輩への愛情、責任者としての矜持がなければ、出来ない事だろう。三百五十年前の村山又兵衛にみられる、芝居への敬意、配下の者たちへの愛情、責任感は、この時代のヨーロッパの、或いはアメリカのインテンダントが保持しているものと同質と思うがどうだろうか。
 (バイエルン州立歌劇場のジョナス氏については、このブログに『バイエルン歌劇場総裁の講義録』と題して書いている。ご笑読戴きたい。) 

 
 「閲覧用書棚の本」其の十四。『役者論語』(弐)
 今回は富永平兵衛著の「藝鑑」を取り上げる。
 この書を初めて読んだのはいつの頃か長い間思い出せずにいたが、近松研究の泰山北斗、乙葉弘教授の浄瑠璃講読の講義の教本を昨晩たまたま見つけ、その中に、「芸鑑を調べること」との走り書きがあり、それが18歳の頃であると判った。
 この『藝鑑』の、これから採録する條は、以来三十有餘年の間に幾度読んだことだろう。
映画やテレビの番組で見たとは思えないが、この一條に描かれた世界が、私の脳裏には映像となって大事に納められている。
 幼少の折に劇場主になろうとして四十数年、浄瑠璃と演劇製作を学んで三十有餘年、いまだに劇場を持てず、傑作を製作出来ないでいるが、劇場主、あるいは演劇製作者としての模範は、ここに描かれる座元・村山又兵衛である。

 一 明歴二年丙申。其比は京は女形のさげ髪は法度にてありしに、橋本金作といふ女形、さげ髪にて舞台へ出、其上桟敷にて客と口論し、脇ざしをぬきたる科によつて、京都かぶき残らず停止仰付けられたり。これによつて京都座元村山又兵衛といふもの、芝居御赦免の願ひに御屋敷へ出る事十餘年。しかれども御とり上なかりし故、又兵衛宿所へもかへらず、御屋敷の表に起臥して毎日願ひに出るに、雨露に打れし故、着物はかまも破れ損じ、やせつかれて、人のかたちもなかりしなり。其比の子供(色子)、役者ども、多くは商人、職人となり、又は他國へ小間物など商ひにゆくものあまた有。わづかに残りし子供、役者銘々に出銭して、食物を御座敷の表へはこび又兵衛をはごくみしが、芝居御停止十三年、寛文八年戊申にかぶき芝居御赦免なされ、三月朔日より再興の初日出せり。狂言はけいせい事也。此日は不就日なりとて留めけれども、吉事をなすに惡日なしと、おして初日を出しぬ。十三年が間の御停止ゆりたる事なれば、見物群集の賑ひ言語に述がたし。
村山氏の大功、後世の役者尊むべき事なり。

 舞台芸術の世界では、バブル経済の破綻した1990年代から、遅れてきた文化バブルとでも言うべきか、文化庁の文化芸術、とりわけ舞台芸術への支援・助成制度が量的に拡大し、96年からは重点的支援策である現在のアーツプランが始まった。
 関西歌劇団の母体である財団法人関西芸術文化協会による助成金不正受給事件(05年10月22日、11月4日の『提言と諌言』をお読み戴きたい。)は、見事なほどに氷山の一角であろう。今までにこの制度で支援を受けたものは数百の団体・ホール・劇場に及ぶだろうが、不正をしていないと証拠を出して立証出来るところはほとんど無いだろう。この制度に先行して実施されている、現在の独立行政法人日本芸術文化振興会による芸術文化振興助成対象活動等の助成事業を含めれば、この十数年でも、延べ数千の団体が助成金を受けている。このような助成のあり方を、文辞正しきは『ばら撒き』と言う。この『ばら撒き』、新国立劇場の得意の「チケットばら撒き」程度の事であれば、私ひとりの批判で事が済む。
 事は国費(税金)に係わることである。「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律」によれば、補助金の不正受給は5年以下の懲役もしくは100万円以下の罰金を科せられる犯罪行為である。
年間50億円を超える国費が運営委託費の名目で投入される新国立劇場の遠山敦子理事長、長谷川善一常務理事は、ともに文部(科学)省の出身、所謂天下り官僚である。遠山氏は、このアーツプランを当時文化庁長官として推進、長谷川氏は、この芸術文化振興助成活動を前任の日本芸術文化振興会理事として管掌していた。今後、文化庁が訴訟準備に入り、検察や警察が動くような事になれば、身内の文部科学省の後輩たちばかりか、あまたの芸術文化団体に累を及ぼすことになるだろう。その中には、嫌疑の係る人物も炙り出されるかもしれない。文化行政ばかりか舞台芸術の世界にとっても厳しい事態が来るだろう。
 アーツプラン始め助成制度の存廃を議論・検討すべき時期が来たのかもしれない。その際に、最初に取り上げられるのは、新国立劇場の50億円という巨額な国費投入の是非であろう。そして、もし仮にそんな動きが具体化したとしたら、理事長始め百数十人の役職員は、人事を尽して支援を訴え賛同を求めて行動するのだろうか。財務省前や国会議事堂の請願受付で、端座して訴えをするほどの心構えが出来ているのだろうか。
 村山又兵衛のように、気概と見識と行動力を持たなければ劇場経営者は勤まらないと思うのだが、民であれ官であれ補助金に慣れ切って自立心を持たない今日の舞台芸術の世界では、望むだけ野暮な話なのだろうか。