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劇団文学座の七十年(五)
≪『演劇統制』下の『文学座』と『岸田國士』(二)≫

 ―世界を通じて、演劇は今や膠着状態にあるやうである。歴史的にみてさういふ時代が過去にもむろんあつたが、この状態は當分続きさうな氣がする。
なぜこんな風になつたか、その原因をひと口に云ふのはむつかしいけれども、つまりは現在が藝術の開化に適しない社會情勢にあることをまづ考へなければなるまい。そのうへ、演劇は特に近代企業として様々な矛盾する面を含んでゐて、その點、映畫の生産と普及に押され勝ちであり、且、純粋藝術としての發展進化のうへでは、一定文化水準の觀客層がこれを支持すべき物質的精神的の餘裕をもつといふことが最大要件なのである。
 これはわが國についてのみ云つてゐるのではないことをもう一度明かにしておいて、さて、歐米に於ては、この危機が如何に當面の問題として處理されてゐるかはその國々によつて異るやうである。私は、自分の國のことについて識者の注意を促したいと思ふ。
 
 こんな書き出しから始まるのは、1939(昭和14)年4月に発表された、岸田國士の『演劇統制の重點』である。続く後段を採取する。 

 ―古典劇としての歌舞伎は例外として、現代劇、即ち、現代日本人が現代の思想と感覺とをもつてする舞臺表現なるものをまだ完全に育てあげてゐない今日、早くも演劇の不振時代が來たといふことは、まことに由々しいことである。一部の演劇關係者は、私のこの言葉に不審を抱くであらう。なぜなら、劇場は到るところ滿員に近く、殊に新劇の如きでさへいづれも豫想外に客足がつきだしたといふ現象を極めて樂觀的にみてゐるからである。
 私は逆に、この現象のなかに、演劇の停頓乃至退化を指摘することができる。が、この議論はしばらく預かるとして、私の若干の經驗は、今こそ、日本演劇の整理と改革の好機だといふことを教へる。演劇當事者の間でその動きがなくはない。
 しかし、これまた私の觀察によれば、わが國の風潮の悲しむべき一面であるが、これをいつまでも民間の努力にのみ委ねておくことは、百年河清を待つにひとしいことを茲に私は宣言せざるを得ぬのである。
 戰時の要求に應ずる文化部門の身構へといふ意味とは別個に、また、政治理論の藝術的扮装などと混同しない範圍で、國家は速かに演劇統制に乗り出してほしい。最近新聞の報ずるところによれば、そのプログラムも一應できあがつてゐるやうである。われわれはその内容について直接當局からはなにも聞いてゐないけれど、各項目をざつとみたところでは、別に驚くやうなことはひとつもない。

 この文章の、特に後段を整理してみる。
 ◎現代の思想と感覚を以って成立する舞台表現が育っていない。演劇の不振時代の到来であり、由々しいこと。
 ◎しかし、一部の演劇関係者は、満員の劇場、新劇でさえ予想外に観客がつき出した今日の現象を、極めて楽観的にみている。
 ◎自分の経験で言えば、今こそ日本演劇の整理と改革の好機である。
 ◎この整理と改革を、民間の努力にのみ委ねるべきではない。
 ◎国家は速かに演劇統制に乗り出してほしい。
 
 戦時時局とはいえ、或いは戦時時局だからか、軍人でも官僚でもない、まさに民間の演劇関係者であり、いわゆる芸術派の劇作家である岸田國士の主張は、煎じ詰めれば、「国家は演劇統制に乗り出すべき」というものである。
 この主張が奏効してか或いは災いしてか、本格的な「奨励助成」「統制」を目的とする「演劇法」の制定を目論む文部省が設置した『演劇、映畫、音樂等改善委員會』の演劇部會委員に岸田が任命されるのは、この半年後の39(昭和14)年12月、劇団文学座の監事を辞し、大政翼賛会の文化部長に就くのは、翌40(昭和15)年10月のことである。
 同じ40年8月の新協、新築地両劇団への弾圧とその解散は、「これまでの横丁の店屋だった文学座が区画整理でいきなり表通りにでてきた」(『文学座五十年史』)との、久保田万太郎の名言を引き出す。プロレタリア派の転向や収監による総退場、上述の「演劇統制」を主張する民間人・岸田國士の権力への大きな協力、「敵失」による文学座の躍進を足掛りに、「世界的日本建設」(岸田國士)に向けての「統制」「翼賛」「迎合」の『演劇の時代』が幕を開ける。