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推奨の本
≪GOLDONI/2007年6月≫

ソーントン・ワイルダー『わが町』(訳・鳴海四郎)
 2007年5月  ハヤカワ演劇文庫

 『わが町』は二十世紀初頭のアメリカの片田舎に暮らすジョージとエミリーの日常生活、結婚、死を描いたものだが、すべては何もない舞台で演じられ、さらに舞台監督が物語全体を断片化していく。ここには通常の時間の流れに沿って、劇的な物語が舞台に再現される写実的な「お芝居」はない。さらに数億年という時間の流れ、宇宙的な広がりの中で彼らの姿を眺めることにより、登場人物の個別性は後方へ押しやられる。ローマで遺跡を発掘した時の感覚だ。想像力を使い、それぞれの『わが町』を再構成する観客の心の中には連綿と続く人間の日常的な「生」の姿が浮かび上がってくる。ワイルダーはジョージとエミリーの話をしながらも、ある特定の場所、時代の個人の物語を巧妙に普遍化していく。これは舞台を観ている現在の「わたし」の話でもあるのだ。(略)
 目に見えるものだけに価値があり、数字に置き換えられることのみが問題にされ、説明できることだけが真実だと考え、比較の中だけでしか自分を語れないような時代に、ワイルダーの作品はあまりに漠としているように見えるかもしれない。が、劇場で、あるいはこの作品を読んで、何か心動かされたとするなら、心の奥底で起こったその変化に目を留め、忘却の彼方から浮かび上がってくるわたしの姿をしばし眺めてみるべきだろう。そしてわたしがここに「いる」ことの奇跡に思いをはせるべきだろう。舞台監督の言う「何か永遠なるもの」をうっすらと感じ取れるに違いない。二十一世紀はその後でしか来ないような気がする。
 だからこの戯曲が初めて舞台にかかったのが、今から約七十年も前のことである意味もちょっと考えてみたくなる。
(「解題」より  執筆・早稲田大学教授 水谷八也)