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「新国立劇場の開館十年を考える」(三十三) ≪遠山理事長の「反攻」について(二)≫

 新聞各紙の新国立劇場への過剰な配慮を疑う
 十日ほど前からの新聞各紙には、年末恒例、文化・芸能(論壇、文芸、美術、音楽、映画、演劇など)の一年回顧の記事が出ている。その一年に起きた事件・出来事に、その年の特異特徴的な共通項を見出し、象徴的な言葉で表そうとのご苦労は察するに余りあるが、マンネリで知恵もない編集企画、そんな「演劇回顧」記事と付き合うのも苦労ではある。 
 前回の『提言と諫言』「新国立劇場の開館十年を考える」(三十二回)で取り上げた日本経済新聞だが、12月11日に掲載された「回顧2008演劇」の書き出しには、「日本社会の行き詰まり感を映すかのように、海外との共同作業の中からすぐれた舞台が生まれる傾向が強まっている。」とある。当方には、「海外との共同作業」から優れた舞台が多く生まれることと、これが「日本社会の行き詰まり感」とがどう繋がるのかが皆目判らない。新国立劇場制作の日韓合同公演を最初に取り上げているが、そこには、「二人の韓国人俳優の力強い演技に日本人俳優が引っ張られる形で、舞台には熱気が渦巻いていた。」とある。後でも触れるが、朝日新聞の10日朝刊に掲載された演劇回顧でも「韓国人俳優の圧倒的な演技力が光った」、「この作品をはじめ、国際共同制作に収穫が多かった。」とあった。多くの批評家や演劇関係者からも、日韓の俳優の演技レヴェルの差を痛感させられたと聞いていたが、日本経済新聞も、朝日新聞もだが、それこそ「日本人俳優の養成、再教育の必要性を強く感じた。」などと書いて欲しいところであるが、ないものねだりかもしれない。
 日本経済新聞の「回顧」に戻るが、「若手劇作家の新作を経験豊富な演出家が手がける新国立劇場の「シリーズ・同時代」は面白い試みだった。」とし、「若手劇団の公演に足を運ぶことの少ない観客が作品に触れる貴重な機会となった。」と書いていたが、これは「面白い試み」で、「貴重な機会」を提供した劇場の企画力を評価してのことだろう。
 1200字程度の決して大きいとは言えない記事で、新国立劇場制作の作品について、その四分の一を費やすほどの高い評価は、さすがに同紙の経営諮問委員会委員経験があり、電通の監査役を務め、経営最高幹部はもとより、編集委員、担当記者とも懇意と言われる新国立劇場の遠山敦子理事長に配慮し過ぎてのものとは即断できないが、外部での新作演出依頼の殆んどを断り、劇場での上演企画立案に努め、「面白い試み」で、「貴重な機会」を提供した当の芸術監督の演出家・鵜山仁について、「鵜山仁芸術監督の企画力が光った。」くらいの16字程度の極小コメントがあっても良かったが、記事には鵜山の鵜の字も出してこない。そして肝心なところだが、この日本経済新聞の「回顧」だけはどうしたことか、6月から9月頃までは大きな騒ぎともなっていた新国立劇場の運営、芸術監督選考問題には一切触れていないところが不自然であり、奇妙である。同劇場を巡る夏の騒動を日本経済新聞の多くの読者は知っているはずだが、そのことに触れない回顧記事に疑問を持つのではないだろうか。
 この点について、他紙の「回顧」ではどう書いているか。
 遠山理事長が社を代表する主筆に直接にか連絡が取れるほどに親しい付き合いの読売新聞は、「新国立劇場が2010年からの新芸術監督として、演出家の宮田慶子を選んだと発表。しかし、昨年就任したばかりの鵜山(うやま)仁・現芸術監督の交代が任期1年目のシーズン途中で決められたことに対し、演劇関係者が抗議声明を出す騒ぎとなった。3年という任期の短さや芸術監督のあり方について課題を残した。」とこの問題に触れている。ただ、この「3年という任期の短さや芸術監督(制度)のあり方について」こそは、演劇関係者から抗議声明を出された当の遠山理事長の主張でもあり、それを意識的にか無意識にか課題だとする記者の視線は、不自然すぎるほど同劇場に限りなく好意的だ。この姿勢は、政治部や社会部の行政改革や天下り問題への追及が他紙と比べても特段に鋭いと評判の読売新聞とは思い難いものだが、朝日新聞の「舞台芸術賞」に先行して「読売演劇大賞」 (「朝日、読売両紙が制定した舞台芸術褒賞制度については、以下のブログをご笑読戴きたい。『朝日』は 「制定賞廃止」で見識を示せ 06年02月09日  『朝日』は「制定賞廃止」で見識を示せ(続) 06年02月12日  「新国立劇場の開館十年」を考える(七)≪無償観劇を強要する演劇批評家、客席で観劇する劇場幹部≫ 08年01月01日 )を制定した読売新聞文化部、新国立劇場に上演作品の受賞を辞退されては敵わない、という懸念からでもないだろう。編集局本流の政治部社会部と同調、天下り批判の視点や意識を持っていれば、五十億円の国税が投入され、上部団体同様に文部(科学)省の官僚の天下り人事が繰り返され、またその運営能力の低さに批判が集まる新国立劇場を取材対象にカバーしている文化部はその流れに即した大きな記事を物し、社会に大きな警鐘を鳴らすことが出来るはずだ。愚劣な「芸能ネタ」、演劇を含む脆弱な「文化」を取り上げるのが文化芸能面と、文化部幹部や当の記者たちが思い込んでいるのであれば、それはどだい無理な注文だろう。
 次は朝日新聞の「回顧2008演劇」である。
 ここでも、日本経済新聞の「回顧」と同様に、「国際共同制作に収穫が多かった。」とあることは先に触れたが、「新作公演が相次いだ今年の演劇界は盛況だったかに見えた。しかし既視感のある物語や出演者の知名度に頼る作り手と、予定調和的な笑いや感動を求める観客による、微温的で閉塞した作品も目についた。」と記しているところは評価したい。新国立劇場についての言及は、「新国立劇場では鵜山仁芸術監督が10年に1期3年で退く人事をめぐり、選考手続きの不透明さが批判を浴びた。劇場執行部の統治・運営能力に疑問符がついた形だ。」の80字。遠山理事長批判の急先鋒とみられた勢い今何処、経営幹部と理事長との「手打ち」が噂され、敗退したはずの朝日新聞、「疑問符」を付けた記者氏に、経営幹部或いは遠山理事長得意のクレームが届いているのではと案じている。ちなみに、12月17日の朝日新聞朝刊に掲載された「回顧2008クラシック」には、「新国立劇場では、次期芸術監督の尾高忠明自身が納得いかぬままという不可解な交代劇。インテンダント(総裁)不在のまま官僚主導で動くという、歌劇場として世界的にも極めて特殊な運営形態が招いた事態だ。」とあり、新国立劇場の運営については音楽担当記者の方が、厳しい評価を下している。新国立劇場のこの先のあり方を心配する人々からは、演劇制作は止めて貸し出しだけにして、オペラとバレエ・ダンスだけを制作するオペラ劇場になるべきだとの、些か先走っているような声も上がる新国立劇場、オペラ劇場としての運営も酷いものであることが、「回顧2008クラシック」の記事からも充分に窺える。
 そして、「回顧」は続く。「音楽の世界に生きる人々への敬意こそを礎にした劇場へと、同劇場は来年こそ生まれ変わってほしい。」と。
 朝日新聞に限らず演劇の担当記者に、この劇場の危うさが見えないのだろうか。それとも充分に理解していながら、筆を曲げて、当たり障りなく書いているのだろうか。であるとしたら、何かの理由があるのだろう。劇場最高責任者が自社最高幹部と親しい、同様に劇場最高責任者が監査役を務めている広告代理店への配慮、自社が演劇賞を設けている、劇場制作の演劇公演を名義的であれ主催している、記者自身が公演チケット代を含む便宜供与を受けている、などの事情があるのだろうか。 
 新聞社、とりわけて演劇担当記者の、取材対象への過剰な配慮を疑う所以である。