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「新国立劇場の開館十年を考える」(三十二) ≪遠山理事長の「反攻」について(一)≫

  前回(『提言と諫言』「新国立劇場の開館十年を考える」三十一回)、体調を崩して2カ月ほど執筆しなかったことを書いたが、このブログ、とりわけて「新国立劇場…」の拙なくそれもやたらと長く、決して愉快な内容ではない文章を、熱心にお読み下さる方々、それも大概が年長の方々からの御見舞を毎日のように頂戴している。中にはわざわざお出掛け戴き、激励と執筆の督促を下さる方々もあり、その心遣いには恐縮しながらも、病人を叱咤することは慈悲深いのか、無慈悲なのかと考えあぐねているが、「新聞記者には書けないことを厳しく書け」との思召しと諦めて、しばらくは書いていこうと思う。
 そんな二週間の間には、同様に「現役の論説委員が社説で批判を加え、記者OBも「声明」に名を連ねたほどこの問題と深く関わり、主導したかに見えた朝日新聞を始めとする新聞メディアが、今では全く何事もなかったようにおとなしくなった」と書いたことについて、「朝日は本当に手打ちをしたのか」との問い合わせ、というよりも詰問を幾つか受けもした。「手打ち」というものは、本来がその当事者にしか判らないもので、当方としても、そういうものが行われたと疑われても仕方がないような静観或いは尻尾を捲いて引き下がった姿勢を感じ、それ故にそう表現したのであり、遠山敦子理事長や朝日の経営幹部の証言を得ての発言ではない。ただ、自ら「手打ち」をしたと、何のつもりでか外部に漏らす当事者が全くいないとは言い切れない。新聞メディアが新国立劇場の芸術監督問題について書かなくなった裏に、「手打ち」があったか無かったかは判らない。
 遠山氏が自分にも向けられている批判に手心を加えて貰うべく、読売新聞の渡辺恒雄主筆に接触したとの噂を耳にしたが、その真偽は定かではない。また、日本経済新聞の文化面の記事が概ね新国立劇場側の主張に好意的である(同紙は山崎正和氏の談話を載せたが(「公的芸術監督の役割 劇作家・山崎正和氏に聞く」 日本経済新聞8月19日夕刊 08年08月25日)、そこには、氏が新国立劇場理事、芸術監督選考委員であることに、本人も解説記事をものする編集委員も全く触れておらず、氏の肩書表記にも「劇作家」となっている。同劇場の当事者のひとりに、客観的な意見、というよりも鵜山芸術監督批判を語らせる姿勢は些か異常である。)と度々聞くが、その理由として遠山氏が同社の経営諮問委員会の委員を務めているからだ、との情報も耳にした。新国立劇場執行部が火消しのつもりか反攻のつもりでかは判らぬが、この山崎正和氏の談話記事を劇場のホームページに転載、会報誌送付の折に別刷りにして同封するなどで利用していたが、この火消しか反攻の工作に、山崎氏のみならず、日本経済新聞も協力したことは確かである。
 遠山氏が電通の社外監査役を務めていることは既に書いたが(官僚批判喧しい最中、電通の社外監査役に就任する天下り劇場理事長 08年6月19日)、新国立劇場は少額小口とは言え、新聞各紙に広告を出稿している広告主の立場である。広告主の代表者を広告代理店が社外監査役に選ぶことに些か疑問があるが、電通の規定などを調べていないのでこれ以上は触れない。広告代理店の役員が、民間の報道機関の常勤或いは非常勤の取締役・監査役を務めることはあるだろうが、氏名も公表されない形の経営諮問委員会の委員を務めているとすれば、如何なものだろうか。電通の規定に則したものであろうか。
 広告主の代表者、或いは広告業最大手の電通の監査役である遠山氏は、新聞社の経営幹部に接触することに慎重であるべきだろう。以前に『週刊新潮』の取材を受け、自らの姿勢について「何らルールに反したことはしていない」と語った遠山氏だが、新国立劇場の理事長職に専念せず、数十の肩書ホルダーであることを批判すれば、「望んで肩書を増やしているのではない。私が有能有益だから向こうから頼んでくるんだ」と仰りそうだ。
 分を弁えること、けじめを持つこと、誠実であることが、何物にも優先されると、幼少の頃に親や師匠に教わったものだが、齢七十の元国務大臣閣下、親に「ルールに反さなければ何をしてもいい」とでも教わったのだろうか。