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「新国立劇場の開館十年」を考える(七)
≪無償観劇を強要する演劇批評家、客席で観劇する劇場幹部≫

 ―昭和四十二年三月中旬。
 たしか小劇場の公演だったと思う。私は日曜日に取材を兼ねて、劇場へ出かけた。取材記者の席は舞台に向かって右側、前列から五、六番目で、体を斜めにしないとよく舞台がみえないところにあった。ふと、座席正面、中央をみるとT理事長、N文化財保護委員長が観劇中だ。この分ではいい席は大方、文部省の役人で占められていることだろうと思った。
 私は新聞記者になる前から、ずい分芝居をみているが、いまだに松竹大谷竹次郎会長が、また東宝菊田一夫専務が自分の劇場の客席で観ていたということを知らない。大谷会長はいつでも監事室でみていた。あるかぶき俳優の告別式で、泣いて告別の辞をのべた直後、かたわらの劇場支配人に「どうや、今日の入り(劇場の入場人員)は」と聞いたという商売の鬼、大谷氏の根性は、客席でみるなんていうもったいないことは出来なかったに違いない。なによりも「お客は王様」という信念がそうさせたといった方が正しい。大谷会長が監事室にあらわれる日は、劇場関係者、作者、役者にまで、ピーンとした緊張がみなぎっていた。―

 石原重雄著『取材日記 国立劇場』からの引用である。
 05年11月だったか、文化庁の新進芸術家在外研修(留学)制度利用者の研修発表演劇公演が新国立劇場小劇場で行われたが、公演初日のセンターブロックの客席中央には、主催者である文化庁の職員が6人ほど並んでいて、普段はどの劇場でも中央の最上等の席が宛がわれ、居眠りしながら観劇する習慣を持つ年配の批評家たちが、左右ブロックの隅の席に追いやられて居心地が悪そうに座っていた。予算消化、助成制度維持のためのアリバイ作り、或いは業界団体への財政支援のための公演のようで、作品としては異常にレヴェルの低いものだったが、「チケットのばらまきの実態」「文化庁職員の特権意識」「演劇批評家の生態」を見事に著した瞬間であり、入場料より安い見物であった。この公演は、ほとんどの観客がばらまきチケットでの観劇で、当日券を購入して入場するという奇特な客の席は、最後尾のはずれであった。よほど、文化庁の職員たちに、「主催者が良い席を占めていて、数少ない有償観客を冷遇するとは何ごとか」と叱ろうかとも思ったが、そんなしきたりも判らないからこそ、真ん中の席にいる連中には、何の事だか判るまいと諦めた。
 新国立劇場では、オペラ公演でも、演劇公演でも、中央の最上等の席には、劇場(財団)理事や評議員などが同伴者を伴って大挙して観劇していることがある。彼らの誰一人、自分が劇場の人間とは思っていないから、「このチケットを売っていれば、二席で四万何千円の売上げだな」などとは考えない。名前を貸しているのだから、招待席に座って当然、くらいにしか思っていないのだろう。劇場は客商売の場でもあるとの認識がなく、単なる名誉職のつもりで理事や評議員に名を連ねているとしたらそれも問題だが、それ以上に理事長や常務理事、芸術監督などが平然と客席で観劇する劇場とは、これも民間の劇場ではないことで、何とも異常である。このブログで、バイエルン州立歌劇場の前総裁のサー・ピーター・ジョナス氏の講義録について度々書いたが、バイエルンの招待者は、州首相ただ一人だそうである。これに引き替え、新国立劇場の招待、ばらまきのチケットは多い時では数千枚規模だろう。
 新聞記者の取材であれ、批評家の劇評の為の鑑賞であれ、劇場側が無償(招待)で、それも客席中央の席を用意しなければいけないとは思わない。度々このブログで書いていることだが、自分に招待状を送ってこない製作団体に電話をして、読売新聞の演劇大賞の選考委員だと言ってチケットを強要したという豪の者ばかりか、同賞や、朝日舞台芸術賞の選考委員、文化庁や芸術文化振興基金等の審査委員のご連中にとっては、劇場や製作団体から招待状が届くのはごく当たり前のこと、プログラムの執筆依頼や付け届け、接待までが当然視されていると聞く。同伴者がいる場合でも、その分のチケット代も踏み倒そうとする者まで出る始末である。(このご連中は、揃いも揃って新国立劇場の評議員であったり、研修所の講師だったりする。はやりで言えば、品格があれば今の新国立劇場には蝟集しないだろう)例えば文芸の評論家が、版元や著者から贈呈される本だけで批評を書くことはないだろうし、また文芸評論家だと言って、関わりのない版元や著者から読みたい本を無償で提供させる、と言うこともないだろう。「大新聞社が舞台芸術の振興や支援をしようと言うなら、せめて選考委員のチケット代くらいは新聞社が負担して、経営基盤の弱い劇場・製作団体を少しは助けるべきだろう」と、読売新聞の編集局の責任者に諫言したことがあるが、今も費用負担などせずに相変わらず只見をさせ、一流ホテルを借りて授賞式とパーティーをしているのだろう。芸術文化に関心を向けるところ、金を掛けるべきところが違うと叱ってみても、この国の政治体制を思慮し憂える経営者を頂く天下の大新聞社の編集幹部たちには、この国の舞台芸術を思慮し憂える私の話などは小さ過ぎてか、蛙の面に水、取るに足りないものだったのだろう。
 昔語りだが、文化庁の国内研修制度を利用して勉強していた若手俳優が、その成果を自己資金の持ち出しで形にしたいというので、その真摯な姿勢に動かされて、何人かの演劇製作者と試演会を企画し、無償或いは持ち出しでその製作に協力したことがある。(と言っても、最も主導的に働いたのは、二十代、三十代のパリパリの製作者たちであり、私はと言えば、不足する製作費用を立て替え、稽古場を提供し、公演期間の当日受付の電話番をした程度だが。)公演の前評判も高く、百席の小劇場での5回ほどの公演でもあり、公演前にチケットは売り切れた。公演期間の毎日、大手新劇団の幹部俳優や著名な映画(舞台)俳優などからも、「チケットを買わせてくれないか」との電話が頻繁にかかってきたが、「遅すぎる」と言ってすべてお断りした。公演を手伝った十数人の者も全員、本番の舞台を観ることが出来ないほどであった。そんな中で、「批評をしている○○だが…」と、何とも高圧的で無礼な物言いの電話が掛かってきた。「公演の案内を貰ったが」とだけ言って言葉を続けない。こちらが「どうぞどうぞ。お名前は?」とでも言うと思っていたようだが、電話番の私の一言は、「だから、どうした?」。先方は普段にない展開に慌てたのか、急に名乗り直したが、「期日指定、座席指定の公演だから、観劇希望は締切日までに連絡するのがルールだろう。批評家だから、そのルールを守らなくても良いというのは失礼な話である。約束は守らないと、な」と言って電話をおいた。(後で聞いたら、この無礼者はある官庁のキャリア官僚だそうで、ここではその名を明かさないが、今も二千万円台の高禄を食んでいる。数年後には退職して天下り役人として、大臣官房が見つけて来た宛がい扶持のポストにでも就くのだろう。)チケット購入者には開演時間を過ぎての入場は出来ない旨お知らせしていたこともあり、開演時間に遅れて来場する観客はなかったが、無償観劇の批評家の幾たりかが開演後にやってきたので、「批評家が遅れて来て、どうするんだ」と、(電話番なのに、受付の製作者を差し置いて)言って帰って貰った。
 十数年前の、ただただ粗暴な頃の思い出、ではある。