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推奨の本
≪GOLDONI/2008年1月≫

世阿弥 『花鏡』 応永三十一年

 一、是非初心を忘るべからずとは、若年の初心を忘れずして、身に持ちて在れば、老後にさまざまの徳あり。「前々の非を知るを、後々の是とす」と云へり。「先車のくつがへす所、後車の戒め」と云々。初心を忘るるは、後心をも忘るるにてあらずや。功成り名遂ぐる所は、能の上る果也。上る所を忘るるは、初心へかへる心をも知らず。初心へかへるは、能の下る所なるべし。然れば、今の位を忘れじがために、初心を忘れじと工夫する也。返返、初心を忘るれば初心へかへる理を、能々工夫すべし。初心を忘れずば、後心は正しかるべし。後心正しくは、上る所のわざは、下る事あるべからず。是すなはち、是非を分つ道理也。
 又、若人は、當時の藝曲の位をよくよく覺えて、是は初心の分也、なをなを上る重曲を知らんがために、今の初心を忘れじと拈弄すべし。今の初心を忘るれば、上る際をも知らぬによりて、能は上らぬ也。さるほどに、若人は、今の初心を忘るべからず。
 
 一、時々の初心を忘るべからずとは、是は、初心より、年盛りの比、老後に至るまで、其時分時分の藝曲の、似合たる風體をたしなみしは、時々の初心也。されば、その時々の風義をし捨てし捨て忘るれば、今の當體の風義をならでは身に持たず。過し方の一體一體を、今當體に、みな一能曲に持てば、十體にわたりて、能數盡きず。其時々にありし風體は、時々の初心なり。それを當藝に一度に持つは、時々の初心を忘ぬにてはなしや。さてこそ、わたりたる為手にてはあるべけれ。然れば、時々の初心を忘るべからず。

 一、老後の初心を忘るべからずとは、命には終りあり、能には果てあるべからず。その時分時分の一體一體を習ひわたりて、又老後の風體に似合事を習は、老後の初心也。老後初心なれば、前能を後心とす。五十有餘よりは、せぬならでは手立なしと云り。せずならでは手立なきほどの大事を、老後にせん事、初心にてはなしや。
 さるほどに、一期初心を忘ずして過ぐれば、上る位を入舞にして、つゐに能下らず。然れば、能の奥を見せずして生涯を暮らすを、當流の奥儀、子孫庭訓の秘傳とす。此心底を傳ふるを、初心重代相傳の藝案とす。初心を忘れば、初心子孫に傳るべからず。初心を忘れずして、初心を重代すべし。
 此外、覺者智によりて、又別見所可有。