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「新国立劇場の開館十年を考える」(三十)
≪次期芸術監督人事について(七)≫

 「あの人は昔から人一倍プライドが高く、新聞記者など見下している。会見でも、あからさまに記者を蔑んだ物言いをするし、すぐにキレますよ」
 これは、今月の1日に突然の辞意表明をした福田康夫首相について、ある政治記者が漏らした言葉である(『週刊新潮』08.09.11 [特集]「自民党の終わりの始まり」より)。これを読んで、ある人物を思い出した。ほかでもない、新国立劇場運営財団の理事長である遠山敦子氏である。と言っても、私自身は、遠山氏とは面識もなく、オペラ公演の初日や賛助会員の観劇日に、招待客への挨拶のつもりなのか、開演前などに客席の一階中央部分の招待用の席周辺を、ゆっくりと歩きまわる老婦人として知っているだけである。彼女の顔を知らなければ、その振る舞いを見て、劇場のトップだとは思わないだろう。オペラの芸術監督である若杉弘氏が劇場客席を歩きまわる姿も、遠山氏に似てはいないが同様に異様である。
 既にこのブログ『提言と諫言』「新国立劇場の開館十年を考える」(二十七)≪次期芸術監督人事について(四)≫<「悪評交響曲」鳴り響く「新国立劇場」遠山敦子理事長>で、『週刊新潮』の記事を紹介した。出演者の相次ぐキャンセルを訝る記者に対して、<「顔を真っ赤にして怒ったり」>、同様に、劇場の芸術的水準の維持確保の姿勢を問われると、<「ふんっ、芸術ね」と吐き捨て>、<批判されることが大嫌い>で、新聞でのオペラ評が批判的だと、事務方に「こんなことを書かれて悔しくないの」と怒鳴り、「貴紙の評価は事実に反する」と抗議をさせるそうで、人を人とも思わないその言動は、この『週刊新潮』の記事が事実だとすれば、専制君主、暴君の様であって、独立行政法人の委託業務を随意契約で受け、巨額な国税が投入されていて、近いうちにはその存続すらが問われることにもなる、官僚のための公益法人の天下り渡り鳥の態度としては、いただけない。6月末以来の芸術監督就任を巡る問題での騒ぎは収束したかに見えるが、財団トップがこれだけ目立ってしまえば、次は「独立行政法人の民営化」をマニフェストに加える民主党も、「行政の無駄撲滅キャンペーン」を始めた自由民主党も、「日本芸術文化振興会の完全民営化」、そして「新国立劇場への補助金全廃」を検討することになるかもしれない。
 拙速との批判を強引に押し切り、「国立大学法人」法の成立を推進、大学の序列化、格付けに躍起となり、国立大学の命運を担うポストとなった理事、監事職に文部科学省出身者(天下り)を大量に押し込むことに成功したと言われる遠山氏だが、新国立劇場運営財団理事長に天下ってから3年半、自身の組織運営手法が、如何に稚拙であり強引であるかが露呈した。『週刊新潮』には、「とにかく私は、何らルールに反したことはしておりません」と答えた遠山氏だが、これは法令違反でなければ、トップとしては何をしてもいいのだということである。この姿勢こそが、今回の騒動の根本にある。意に沿わぬオペラ批評を書かれて、「貴紙の評価は事実に反する」と抗議させる感性、神経は、芸術創造団体のリーダーとしても、法人組織の責任者としても「不適任」であることを見事に証明している。芸術文化に造詣が深い訳でもない一介の天下り官僚に、何とも不似合い、不釣り合いなポストを与えたのは、氏の部下でもあった文部科学省の現役幹部ではあるが、そんな者でも劇場トップが務まると思わせているのが、彼らが所管する現代日本の舞台芸術界である。自助努力をせず、文化庁の事業(国税)、補助金に縋ることでしか生活が出来ない、補助金中毒患者と成り果てた者たちが集う「舞台芸術界」こそ、改革が必要であるが、これはまた別の機会に論じる。
 今回の騒動は、トップの更迭で収束すべきものと思うが、遠山批判の狼煙を上げたはずの舞台芸術界、とりわけ演劇関係者たちは、習い性となっているのか、予想通りの「腰砕け」、新シーズンには今までと同様に、新国立劇場の仕事を引き受け、或いは招待状を手に劇場に通うという情けない様を演じることだろう。そうであれば遠山氏は辞任もしないし、文部科学省も動かない。6月末からこの問題をたびたび取り上げた新聞各紙も、いまでは何事もなかったように、新国立劇場公演の紹介記事を載せている。日本の凋落は、政治や経済や行政だけが作っているのではない。芸術文化、ジャーナリズムの軟弱さ軽薄さにも因を求めることが出来よう。
 11年目のシーズンに入った新国立劇場だが、三十回まで続いたこの「新国立劇場の開館十年を考える」は、もうしばらく書き続けるつもりである。