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『劇聖・九代目市川團十郎』と『GOLDONI』開設8年   

GOLDONIは2000年9月13日に、新刊書も古書も洋書も扱う演劇専門書店として開業したが、二年ほど前からは平常の営業を止め、今は演劇関連の稀覯本探究のお手伝いだけをして、「舞台芸術図書館」作りの準備に入っている。
 今日は開設8周年のご挨拶に代え、岡本綺堂が著した『明治劇談 ランプの下にて』から、「団十郎の死」の一部を転載する。GOLDONIの開設日が、1903(明治36)年に亡くなったこの劇聖・九代目市川團十郎の正忌であることは、このブログでもホームページでも度々書いた。お手隙の折に、九代目團十郎に触れた拙文のご笑読をお願いする。

 わたしはかなり感傷的な心持で菊五郎の死を語った。さらに団十郎の死について語らなければならない。今日、歌舞伎劇の滅亡云々を説く人があるが、正しく言えば、真の歌舞伎劇なるものはこの両名優の死と共にほろびたと言ってよい。その後のものはやや一種の変体に属するかとも思われる。(略)
 いまの市村羽左衛門はそのころ市村家橘といっていたのであるが、その年の秋興行から十五代目羽左衛門を相続することになっていたので、その披露のために各新聞社の劇評記者を大森の松浅に招いた。わたしも『東京日日新聞』の劇評記者として出席することになった。
 九月十三日、その日は日曜日で、朝から秋らしい雨がしとしとと降っていた。定刻の午後五時ごろに松浅にゆき着くと、接待として市村門下の坂東あやめが待ちうけていた。あやめのことは前に書いた。わたしと前後して、各社の諸君も大抵来会したのであるが、主人側の家橘が顔をみせない。茅ヶ崎(団十郎)の容態が悪いので、朝からあっちへ見舞に行っているのですと、あやめは頻りに言い訳をしていた。
 団十郎の模様がよくないということは、これまで新聞紙上にも伝えられて、世間でもみな知っていた。わたしたちはむろん承知していた。今度こそ再び起つことは覚束ないという情報をも握っていた。それだけに今日のあやめの話がいよいよ胸にこたえて、堀越もいよいよいけないのかという嘆息まじりの会話が諸人のあいだに交換された。我々の予感が現実となって、「春日局」が遂に最後の舞台となったことなども語られた。なかには自分の社へ電話をかけて、団十郎いよいよ危篤を通知する人もあった。
 涼しいのを通り越して、薄ら寒いような雨に日は早く暮れて、午後六時ごろには大森もまったく暗くなった。フロックコートを着た家橘があわただしく二階へかけあがって来て、挨拶もそこそこに、どうも困りましたという。かれは茅ヶ崎から駈けつけて来たのであって、団十郎はきょうの午後にとうとう死んでしまったということを口早に話した。臨終の模様などを詳しく語った。我々ももう覚悟していることではあったが、今や確実の報告を聞かされて、俄かに暗い心持になった。
 家橘は改名の口上を団十郎にたのむはずであった。その矢さきに彼をうしなったので、家橘は取りわけて落胆しているらしかった。こうなった以上、なまじいの人を頼むよりも、いっそ自分ひとりで口上を言った方がよかろうと我々が教えると、どうもそうするよりほかはありますまいと本人も言っていた。なにしろ右の次第であるから、わざわざお呼び立て申して置きながら失礼御免くださいと挨拶して、家橘は降りしきる雨のなかを再び茅ヶ崎へ引返して行った。
 そのあとの座敷はいよいよ沈んで来た。団十郎が死んだと決まったので、無休刊の新聞社の人はその記事をかくために早々立去るのもあったが、わたしたちのような月曜休刊の社のものは直ぐに帰っても仕様がないのと、あやめが気の毒そうに引き止めるのとで、あとに居残って夜のふけるまで故人の噂をくりかえしていると、秋の雨はまだ降りやまないで、暗い海の音がさびしく聞こえた。その夜はまったく寂しい夜であった。団十郎は天保九年の生まれで、享年六十六歳であると聞いた。その葬式は一週間の後、青山墓地に営まれたが、この日にも雨が降った。  さきに菊五郎をうしなったことも、東京劇界の大打撃には相違なかったが、つづいて団十郎をうしなったことは、更に大いなる打撃であった。暗夜にともしびを失ったようだというのは、実にこの時の心であろうかとも思われた。今後の歌舞伎劇はどうなる――それが痛切に感じられた。(略)
 「団十郎菊五郎がいなくては、木挽町も観る気になりませんね。」
 こういう声をわたしは度々聞かされた。団菊の歿後に洪水あるべきことは何びとも予想していたのであるが、その時がいよいよ来た。興行者も俳優もギロチンにのぼせらるべき運命に囚われたかのように見えた。