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「新国立劇場の開館十年」を考える(二十)
≪巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(七)≫

「新国立劇場 芸術の場らしい議論を」 朝日新聞7月7日朝刊 社説
 「<劇場の顔>の選考をめぐり、東京・初台の新国立劇場から大きなきしみが聞こえてくる。」との書き出しで始まる、昨七日の朝日新聞社説は、前回紹介した七月一日の読売新聞の解説記事以来の、新国立劇場の芸術監督就任をめぐる一連の動きを論じるものと思われる。紙面リニューアルの後、評判がいま一つの「天声人語」を、それでもさらりと目を通すことはあっても、よほどのことでもない限りは社説を読む習慣は疾うに無くし、このブログの熱心な読み手のおひとりから、「読んでいませんね」と、最前教えられたばかりである。今また、メールと電話で、同様な知らせを戴いたところである。少なくともこの一時間で三人の方から、ブログでの続報を期待されたと判断して、何はともあれ、かいつまんで、この社説を紹介することにする。 
 「混乱のきっかけは、…遠山敦子理事長が、芸術監督全員を一気に代えようとしたこと」にあり、昨秋就任したばかりの鵜山仁氏が「1期3年限りで退任させられることに疑問が出た」とある。劇場の理事で、次期監督の選考委員でもある小田島雄志氏らが、鵜山氏の続投を求めたそうだが、遠山執行部は「そうした声を抑え、交代を理事会に提案」、「そこでも演劇人や経済人の理事から異論や慎重論が相次いのに、理事長は「対応を一任された」と交代を発表した」とある。
 論説委員氏も、「選考の過程で理事長が考えを強く表明することはあっていい。しかし、理事たちの十分な理解を得られないようでは困る」とし、鵜山氏が多忙で現場とのコミュニケーションが取れなかったことが再任しない理由だとしても、「芸術家としての成果をどう判断するか議論を深めないまま、管理や運営面だけで芸術監督の適否は決められまい」し、「芸術に公費を使う歴史の浅い日本では、公共の劇場の芸術監督をどう選び、どんな役割と権限を与えるかは定まっていない」と説く。
「開かれた場で、芸術家、執行部、関連分野の専門家に観客も加わって、それぞれの考えをぶつけ合い、ここをどういう劇場にしてゆくのか、大いに議論したらいい。新国立劇場は、そうした面でも一つのモデルを示す存在であってほしい」として、
「その姿勢を捨てるなら、劇場は劇場でなくなる」と結んでいる。
今日は、記事の紹介に止める。