拝復
先日はご祝意を賜りまして有難うございます。
学生時分から十年余り続けていた舞踊、演劇の現場から離れ、その後に企業経営の真似ごとを七年ほどして、齢四十で舞台芸術の環境基盤整備、樹木医に擬えて劇場医のような仕事などもして二十年近くなります。
この二十年の間にも、作品、人材の質の低下、劣化は止まらず、相変わらずのハコモノ行政による公共ホールの乱造や、税金を使った助成金のバラマキなどに見られるお粗末な文化行政もあって、舞台芸術の世界はより悪化しています。それらを正すことが、真の舞台芸術振興だと思い定め、舞台芸術の環境基盤整備をライフワークとしてきましたが、果たして身を削ってまで、経済的な負担に耐えながら遣るべき務めかと、諦めそうになったことも幾度かはありました。しかし、乏しい才能、微かな専門性を生かす道は、やはり幼少からプロフェッショナルになるべく周囲から望まれ、鍛えられ、学び、実践してきた「舞台」とその基盤整備しかありえず、可能であればあと数年でも、自分なりの集大成にしてみたいと今は思うようになりました。
先日お送りしましたように、不躾ながら、メールで年に一度、開設の御挨拶をさせて戴いています。これは、挨拶と言うよりも決意表明だと言われることも多いのですが、無名の演劇人がひたすら、その環境を少しでも良好なものに、また豊かなものに、そしてより厳格なものにと、徒労に終わりそうなことに厭きずに続けていることの報告です。
私のささやかな活動を私の知人から聞かされた映画監督の熊井啓(故人)さんは、「映画には啓蒙家は出てこない。こんな時代に、演劇の啓蒙家がいるとは驚きだ。演劇というのは痩せても凄いものだな。」と言われたそうです。
熊井監督の映画も知らず、また面識もありません。ただ、映画人に「演劇というのは痩せてもすごいものだな」と言われた演劇人として、その言葉を裏切らない活動を、この先もささやかでも続けていこうと思っています。
九代目市川團十郎の、そして市川三升の墓に手を合わせれば、そしてGOLDONIの書棚に飾ってある両先達の写真を見つめれば、いつも、「辛い仕事だが、お前しかいないのだよ」の声が聞こえるような気がします。
九代目を、三升を、彼らの演劇人生を裏切らない活動を、暫くは続けていこうと思っています。
また、厳しいご指導ご鞭撻を賜りたく存じます。
ご多忙かと思いますが、偶さかのお手隙の折にお出掛け下さい。