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推奨の本
≪GOLDONI/2011年10月≫

『社会百面相』(上・下) 内田魯庵著 
岩波文庫 1953年 
 

 ≪急速な変化を遂げる日清戦争後の日本社会。政治家、官僚、実業家から学生まで、社会の各階層を諷刺的にスケッチした異色の短編集。(文庫カバーに記載)≫


 「はァ、局長の咄では大臣の三番目の娘とかが丁度年配が宜かろうと申し升ので…」と若きフロットコートは一段と醉顏を熱らしつグツと盃を呑乾した。
 「貴公の方の大臣なら政黨と違つて新華族中の資産家だし、名望も力量もあるから之から猶だ中々働けるし、貴公が出世の踏薹には至極持つて來いぢや」
 (略)「殊に局長の内密の話では、愈々私が貰ふことになれば官等を一等進めた上に海外へ遣つて呉れる筈です。」
 「そりやァ巧いナ。貴公、餘程大臣に取入つたと見えるナ、」と主人公はシゲシゲと靑年の顔を瞻めつ莞爾々々と微笑を含みながら、「磊落を看板とした貴公が餘り早く官員臭くなつたと思つたら、爾う云ふ見掛けた山があつて謹愼しおるンだね。油斷ならない男だ。」
 「そういふわけぢァありませんがナ、代議士になるさへ一萬二萬の運動費が要るですから我々無資力者は民間政治家たるよりは矢張刀筆の吏となつて鰻登りに行く方が近道だと、着實な方便を取ることにしたです。」
 「さうさう、貴公のやうに高等官試験に及第して官吏となつて大臣、新華族、或は紳商の娘を貰ふのが最も當世流だよ。成程着實と云ふのかも知れんナ。今の社會を渡るには之が保險附の一番安全な方法だからナ。」
 (略)「併し先生は此次の内閣には大臣におなりのやうに専ら申しますが…」
 「大臣には誰だつて成れる。刀筆の吏には容易になれないが大臣なら木偶だつて出來る。併し大臣になつたッて仕様が無い。自分の抱負が實行出來るぢやなし、五百や千の月給を取つたッて我輩のやうな負債家は燒石に水だ。(略)政黨の出身者は秘書官だつて官房長だつて大臣だつて悉く同様に政黨の後援を恃むんだから役割の都合で各々任に當るんで個人の人物力量に甲乙があるわけぢやァない。例へば芝居で主人の塩谷判官に扮る俳優が家來の大星由良を勤むる俳優より良いといふわけではないのと同じ事だ。我輩なぞは高等官二等の微官に居るんだが心持は既に大臣になつておる。此上大臣になりたくもない。成つたッて仕様があるものか。」(後略)
(「新高等官」より)


 「それぢやテ、代議政治は全て破滅ぢや、勿論議會は政府を仇敵視するが能事ぢやないから、及ぶだけは和哀協同の實を挙げたいのぢやが、政府をして頼らしむる能はず、議會却て政府の鼻息を伺ふて合槌を打つやうでは代議政治はまるで滅却ぢや。奈何も日本人は國家あるを知つて國民あるを忘れおるやうぢやから、國民を代表するといふ眞正の意味が理解出來んと見える。それぢやもんで、日本全國を代表する議會が國民全躰の利害を度外に置いて名々の撰擧區の利益を重んずる傾向があるやうなわけで、段々と詮じ詰めた處が終局には第一に自己の算盤を彈き出すやうになる。畢竟國民全躰の利益は即ち國民の一人たる自分の利益ともなる道理が解らんと見えて、國民全躰の利益を計つて己れの撰擧區民及び自分も其同一利益の恩に沐せしめやうとは考へない。皆其順序を顛倒して國民の幸福よりは撰擧區の利益、撰擧區の利益よりは第一に己れの慾を渇く算段に掛る。尤も一般に公徳の缺けておる國ぢやから獨り代議士を罪するわけには行かぬが、せめて代議士の品位を保つて政府に盲從するは仕方が無いとしても素町人の株屋風情に叩頭して愍を乞ふやうな醜躰の無いやうにと。」
 「でがアすナ、」と地方有志家らしき四十恰好の羊羹色のフロツクコートは不意に頓興な調子を合はした。
 「まだしも政府と議會と肝膽相照すは寛大に見られるが、株屋と議會と常に肝膽相照す醜狀は鼻持がならぬ。といふのも畢竟は國民一般が立憲の知識に乏しくて撰擧する者も撰擧せらるる者も代議士の本分を理解せんのぢやナ。元來日本は一千年來武士が天下を私しして他の農工商は武士に蹂躙けられおつた餘風が殘つて、御一新後四民全權になつても政治に容啄しする者は矢張士族に限つてゐた。然るに政府が大いに人材網羅をしたので少と小手の利いた奴は大抵官員に有附いて了つたから、其跡の篩漉しに漉して殘つた渣滓は無資無碌無學無才無能無分別といふ無い者盡しで喰ふ事が出來ない苦し紛れに初めたのが卽ち政治運動ぢやな。渠等は人權の自由のと云ひおつたが畢竟は人民を犠牲にして士族の喰場を發見けやうとしたのぢやな。それぢやから人民の總代となつて請願筋で地方廰或は中央官衙へ出る場合も日當旅費辯當代を目的としたもんで中には馬鹿正直に佐倉宗五郎を氣取る者もあつたが大抵は先づ何にも知らない百性をおだてて請願で飯を喰はうといふ連中なのぢや。それぢやもの、英國の代議政躰の發達とは大いに成立の順序を異にしおる。人民が自家の權利を自覺して自ら國政に参與しやうといふので血を以て憲法を買つて議院政治を創めたのでなく、士族が喰稼ぎに政治運動を創めて跳ね返りの彌次馬が面白半分に飛出し、御祭禮をする了簡でワイワイ囃し立てて憲法を祈り出したのぢやから、肝腎の代議政治の思想は少も發達しおらんのぢや。尤も我輩も其連中の一人で君達に對すると汗顏に堪へんがの…」(後略)
(「代議士」より)