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推奨の本
≪GOLDONI/2007年4月≫

 『日本の芸術』  東洋経済新報社刊
 南 博編 1958年

 すぐれた創造的個性によって確立された高度の技術を、無能な子が世襲するとき、家芸は危機にさらされる。この危機を超越するためにコンクリートにされた制度、これが家元制度であるという歴史的な過去を持っているので、襲名によって家元の座につくということは、江戸時代いらい、当然のこととして踏襲されたきたのであるが、その当否や、新しい問題などが、公開の場で論じられたことがないので、世襲的に血縁者が中絶すると、技術的には優れた人がいても、その人が家元になることは、原則としてはなくて、家元預といった妙なことが行われている。日本舞踊の若柳流のように、どうして公選という近代的な形式による運営がなされないものなのであろうか。
 歌舞伎俳優の家々は、直ちに家元ではないが、家元的性格を多分に温存しているので、最近著しく豪華をきわめているこの世界の、襲名について問題を提起しておこう。
 近ごろの襲名に著しい現象は、権十郎は別として、勘三郎・羽左衛門・半四郎・左団次など、血縁よりは、むしろ技術によって、古い名優の家名が受けつがれることになり、その点では無能な血縁者がつぐより、はるかに進歩である。ただしかし、こうした襲名が、歌舞伎劇の演劇としての伝統的な強い要請によってなされたものかどうか。むしろ演劇以前の興行政策によって支配せれていることの方が大きいのではないかと疑いたくなるような印象が、どの襲名口上からも強くひびいてくる。もしそうだとしたら演劇の純一な伝統的要請に発していないことになり、残念なことであると思う。(執筆:西山松之助)
(「伝統芸術今日の問題 制度と機構 家元制度」より)


 本当にいい後継者を作るには、角力の親方が新弟子さがしに血眼になるように、金のわらじで素質のある子供をみつけて歩かねばならぬはずだ。代々伝わる名家の子でも、テストに外れた子はほかの職を選ばせるのが本当の親ごころというものだろう。そうやって厳重に選ばれた少年でさえ、何パーセントかは落伍せねばならないのが芸の道なのではないだろうか。それはともかく、素質の点では難のない子が稽古をはじめたとする。その子は怠け者ではなかったとする。それで、その子は立派な能楽師になれるかというと、またそれがそうはいかないのだ。(略)
 現在一流の能楽師を見渡しても、あれは師匠がよかったからあんなに立派になれたという人は、ほんの数人しかいない。あとはみな、こっそり師匠以外の人に教わったり、自分で努力をして芸境を高めていった人たちばかりだ。そういう努力がよく美談のようにうたわれるが、伝統芸術といわれる能や狂言が、いたずらに美談ばかり生んで、権威のある伝承の方法を確立しえないというのは、思えば情ない話である。本当は、能楽を含めた日本芸能専門の高校や大学ができ、そこで教育法の研究と実際の教育とをかねて行うというのが理想だが、これはいまのところ夢だ。(略)
 能は一生が修業だとはいうが、四十過ぎればもう自己完成の段階である。いや本当は二十代で基礎訓練は終り、あとは多くの先輩・友人・観客・批評家等の批判をよく噛み分けて、自己の研究で道を開いて行くべきもののようだ。三十過ぎて肉体の訓練に明け暮れるのではあまりに遅すぎる。
 こうして五十代になれば、一流の名手になるものはなり、虚名を売り出したものは充分売り込み終り、あきらめるものはあきらめて、落ち着いてそれぞれの道を歩む立場になる。だがごく稀に、六十過ぎて急に芸が伸びるというような例もあるから、あっさりきわめをつけるわけにも行かない。しかしまず五十代から六十代へかけてが能楽師の盛りである。七十の声を聞くと、どんな名人でも肉体的に故障が起りはじめる。常に好意的な能の観客は、障りには目をつぶって、名人芸のいい所だけ鑑賞してくれるからすむのだが、三度に一度は完全でないものをみせねばならなくなる。病気で体力が弱ったばあいはもちろん、いくら元気でも八十になって常時舞台を勤めるというのは、本当に芸に忠実な態度かどうか疑わしい。まあ立方なら六十代いっぱい、囃子方でも七十代の半ばまでだろう。それを過ぎたら、折をみて引退し、年に一、二回特別の機会に出演する程度にとどめるのが、立派な態度なのだと思う。(執筆:横道万里雄)
(「伝統芸術今日の問題 技術の伝承 能と狂言―能楽師―」より)