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バイエルン総監督・ジョナス氏の講義録(十一)

 バイエルン州立歌劇場におけるサー・ピーター・ジョナス氏のインテンダントという職位は、その前提である劇場機構とともに日本には存在しない。また、氏のような舞台芸術の実践家であり、数百人規模の組織運営のキャリア、専門家という存在は、日本の行政立の劇場・ホールにはいない。『シャッポは軽いほど良い』 とは、小沢一郎氏がかつての総理・海部俊樹氏を党首に担ぐ時の言葉だったか、これは総理や党首ばかりの話ではない。文部科学省や行政組織、外郭団体などによる文化施設のトップの人選は、これを見習っているのだろうかと疑いたくなるほどである。とくに行政立の劇場・ホールには、文部(科学)省や地方行政の天下りや芸能実演家など、その運営の専門性にも見識にも疑問符の付く人物がお飾りトップに収まることが多いが、劇場・ホールの製作や事業の運営幹部・中核スタッフの能力が高ければ、実害は少ないだろう。問題は、運営幹部の能力ばかりか、見識の低さ、モラルの低さがお飾りシャッポ以上であったりすることだ。こんな軽いシャッポや運営幹部が、全国の公共劇場・ホールに蝟集し、保身に汲々として、政府・行政(税金)補助金にありつくことを最大の目的としていることだ。
 また、行政立の劇場・ホールは、多くの現役の演劇人を、芸術監督やディレクター、参与などの肩書で雇っている。そこには余程の甘い汁でもあるのだろう。この『提言と諌言』の2005年7月27日の<先達の予想的中の『新国立劇場』>に書いたことだが、「国立劇場の管理の仕事をやっていた人に聞いたんだけど、芝居をやってた人間の方がずぶのお役人よりももっと官僚的になるそうだ。」との千田是也氏の発言や、「第二国立劇場で一番心配なのは、二流の芸術家が官僚化して、あの中に閉じこもったら、サザエの一番奥のところにダニが入った恰好になっちゃってね。ほじくり出すのに困っちゃって、日本芸術の最大のガンになる。」との浅利慶太氏の予想は、二十年以上も前のものだが、見事に的中している。
 
 昨年3月31日まで、『提言と諌言』を二百本近く書いてきたが、大半は現在の舞台芸術・演劇状況への批判であった。例えば、新国立劇場の不公正・不適正な運営に関する批判や、業界人になりさがった演劇人の有り様についての批判である。「最近は演劇ジャーナリズムすら翼賛化した」との声を聞くことたびたびだが、その中で、孤立・反撃を恐れずに書いてきたつもりである。「君が『提言と諌言』を書かなくなったせいで、ますます演劇状況は酷くなった」との大袈裟なお言葉を戴くこともあるが、このお言葉を真に受け、「体制には常に批判者がいなければいけない」との大仰な信念を曲げず、「賎しいものを賎しいと難じて、倦む事勿れ、恥じる事勿れ」との先達の叱咤を励みに、今後も劇場運営、演劇製作、組織経営のあり方を考えていこうと思っている。