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同輩、先輩、後輩との一日

11時、ある東証一部上場企業の子会社で食客をしていた折に出会ったその当時の親会社の営業部門の岡山事務所長が、東京・台場での『アミューズメントマシン・ショー』見学のため上京、店をはじめて訪ねてくれる。山川高紀さん、今は元の部下や次男と倉敷・岡山などで事業を営んでいる。偶々二人とも12年前の同じ日に、その会社を辞めた事を知ったが、彼は東京本社への昇進含みの転勤、私は親会社の経営幹部への誘いを断っての退職。彼は、病妻を岡山に置いての単身赴任が出来ないこと、私のほうは、四十歳を機に7年近い客分暮しに見切りを付け、演劇のインフラ作りを手掛けようと思っていたことが退職の理由。「残っていれば、経営ボードのおひとりでしたね」との優しい彼の言葉に、「すぐに出来の悪い役員たちを殴って辞めていたでしょう」。12年ぶりの再会だったが、昔話に終始せず、事業の進め方や社員のモラールをどう上げるかなど、実践的な話を伺った。部門の会議や打合せなどで見せた私の発言(思考方法)や行動が、創業経営者の顔色を見ることだけに汲々として官僚化した他の幹部社員とかけ離れていて、「やっぱり、あそこでは収まりきれない人でした」と冷静な分析。
15時前、入れ替わりに劇団民芸制作部の木佐美麻有さんが来店。明治大学演劇専攻3年生の頃からGOLDONIに来ていたが、「演劇製作者を目指すなら、新しくて小さな組織に入るよりも、出来るだけ古くて大きなところに就職しなさい。組織が抱える問題点、改良点も大きく、深刻なはずだから勉強になる」との私の説得を聴き入れてくれたのか、他を幾つか断っての民芸入団。彼女の近況を聴いていたところに、元電通総研監査役の岡田芳郎氏が来店。二十五年ほど前(『キャッツ』企画が生まれる以前)、電通と劇団四季で定期的な勉強会を開いたが、電通サイドの責任者が当時の営業企画室幹部だった岡田氏で、私は四季側の連絡係、最年少メンバーだった。昨日の電話で、氏所蔵の『ディアギレフのバレエ・リュス展』のパンフなど無心したので、届けてくださる。木佐美君ともお話戴き、17時前に、浜離宮朝日ホールにお出掛け。ご常連や親しい年配の方の多くは、オペラ・クラシックの熱心な観客だ。
早稲田大学第二文学部演劇専攻4年生の大石多佳子さんが来店。卒論のテーマについて、先輩格の木佐美君も交えて訊く。ある上演団体を取り上げると言うので、「今のものは、なま物だけに難しいね」と言うと、「卒論指導の岡室先生にも言われました」。「現代が良ければ、ヨン・フォッセあたりはどうだろう、べケットとも繋がるし、彼の出身地ノルウェイのイプセンとも繋げられるかな」など話していると、「すみません、お勘定」。声の主は、フォッセを日本で初演出した太田省吾氏が主宰した『転形劇場』の鈴木理江子さん。今はベケット作品を中心にリーディングをしているそうで、半端な指導をお聞かせしたか赤面の至り。