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推奨の本
≪GOLDONI 2006年12月≫

『日本新劇小史』 未来社刊
茨木 憲 著  1966年

 抱月の二元論
芸術座の踏んだ二元の道は、演劇における「近代」の確立のために背負わねばならなかった十字架である。早くから、抱月にあっては、「近代」は矛盾をもった二元に引き裂かれるものとして立ちあらわれていたのである。
 (中略)一九一五年(大正四)十月の「この現実を如何にするか」という論文に抱月は次のように書いた。――≪吾々の虫のいい空想性は、事業と職業とを一にして自己満足と報酬とを併せ獲ようとするし、短気の現実性は此の矛盾に見切りをつけ職業に徹底して自己を麻痺させるか、事業に徹底して自己を餓死させるか、何れかの極端に走ろうとする。そこへ吾々の苦しい経験が教えたり、利発な妥協性が出て来て、二元の道を指さす。今日職業を営んで、明日事業を営み、左の手に報酬を得て、右の手に自己を展開し創新する。凡そ現代に真に生きる道は、この二元主義より他にない。見渡したところ、自ら生きて自ら事業を為さんとしているもの、誰か一人この道によらないものがあろうぞ。……総てを支配する現実の道は、依然として二元である。誰れか二元の道を否定し得るものぞ。芸術座の立場はここにある。吾々は右手に職業と調和する劇を演じ、左手に職業を超越する劇を演じて、自己の往くべき道を自己の力で築いて進むほかない。而も吾々は此の悲しい事実の中に、尚幸福の存することを認めざるを得ない。
 抱月の二元論は、当然、多くの人々の論難の的となった。中でも外遊から帰った小山内薫は、芸術座の行き方をはげしく批難した。「復活」は、「復活」ではなくて「死滅」だといった。小山内の「理想主義」は、抱月の「現実主義」のポーズにするどく反撥したのである。
 小山内は「新劇復興の為に」という論文で、≪日本の「新しい芝居よ」哀れな日本の「新しい芝居」よ。≫と呼びかけて、次のように言っている。――≪勿論、芝居というものは金がなければ出来ない。金は芝居の第一条件だ。それは俺でも知っている。併し、正直な生活に入るだけの金は正直な為事で得られる。それは夢だと笑う人もあるかも知れないが、俺はどうもそういうより外信じられぬ。勿論、その境地へ行けるまでには、塩を嘗めなければなるまい。水も飲まなければなるまい。併し、最後にはきっと人間並のパンが食って行ける。きっと食って行ける。その信仰がない位なら、初めから芸術などは止めてしまった方が好いのだ。芸術などは止めにして、金儲け一方に走った方が好いのだ。その方が余っ程正直だ。余っ程真剣だ。「盗みをしながら施しをする」ような二元の道が、いつまで経っても一元になりっこはない。≫
                   (「Ⅱ 新劇の黎明 3 大正演劇」より)


『演劇論』   人文書院刊
ルイ・ジュヴェ著 鈴木力衛訳 1952年

 演劇なる商売は、その功利的な性格にもかかわらず、遠い昔にさかのぼれば、人間感情のもつとも高貴な・もつとも利害に恬然たる動機に源を発する司祭職なのだ。しかし、あらゆる司祭職は、それがいかに光輝あるものであろうと、その脇腹に憎むべき傷口を持つており、かくして司祭は、軍人が剣によつて・弁護士や医者が彼等の顧客によつて・生計を樹てねばならぬごとく、祭壇によつて生活するを余儀なくされているのだ。
 (中略)しかし、演劇とはその日暮しの商売、或いは一週間ごとに切り盛りして行く小さな商売だということだけは申しあげられると思う。儲からない芝居をいつまでも看板にしておくわけには行かぬ。此処では天才も信用がない。天才はその他の芸術に於けるがごとき信用を持つていないのだ。他の芸術にあつては、画家も・彫刻家も・音楽家も・小説家も、忍耐を重ね貧窮に耐えて行くうちには、とにもかくにもかれらの仕事や才能に対する収穫をとり入れる権利を持つているではないか。
 作家も・俳優も・支配人も・当りなくしては、換言すればかの物質的かつ精神的な同意・窓口の収入と拍手喝采なくしては生きて行けないのだ。それに、観客がこの二つのうちのいずれかを他と切り離して与えることはきわめて稀なのである。
 従つて、演劇の問題及び法則とは次のごときものである。他のあらゆる考察に先立つて、演劇は先ず一つの事業、繁盛する一つの商業的な企業であらねばならぬ。しかるのちに始めて演劇は芸術の療育に自己の地位を確保することを許容される。当りのない劇芸術はない。観客が耳を傾け、生命を与えないかぎり、価値ある脚本は存在しえないのだ。二つの目標を同時に結びつけねばならぬ怖るべき二者択一、それは演劇の地位をあらゆる追従とあらゆる妥協・ときとしては流行との妥協の面の上に置くのである。この法則を沈思黙考し、実地に応用すれば、あらゆる演劇活動の正体が明らかにされ、演劇のありとあらゆる傾向および手法が説明されるであろう。現実的なものと精神的なものとが結びつき、相対立する必然とはまさにかくのごときものであつて、これを以てすればわれわれの職業の苦い快楽も・その憐れむべき偉大さも・その神秘も・或いはまたその完成の美徳をも、一挙にして説明することができるはずである。
                          (「演劇の諸問題」より)