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推奨の本
≪GOLDONI/2008年11月≫

『茶ノ道 廃ルベシ』  秦 恒平著
北洋社 1977年

 たとえば当代千宗室氏に「茶道」は「宗教」だという大きな提唱がある。が、茶聖といわれる利休の時代、利休の言動、利休の茶そのものから直ちに宗教を示唆するような「茶道」という字遣い、言葉遣いは確かめえないと思う。この二字はせいぜい茶頭、茶堂と同義の、茶の湯を以て君側に奉仕する者の意味を多くは出なかった。宗教的な「茶道」を直に証する文献も徴候も、紹鷗、利休と同時代にそうは見当たらない。市民社会の相応の成熟期にふさわしいすぐれた社交術、趣味性、が倫理的に洗練されて行く或る凛烈感はあるが、直ちに宗教とは言えない。名高い『南方録』一本を偽書と断じて除外してしまうと、事情はかなりすっきりする。
 珠光、紹鷗、利休から織部や宗旦に至る道統がたしかにある。この道統を育てた京、堺、大坂の時代背景に打ち重ねながら仔細に当時の茶の湯の楽しまれ方を眺めれば、茶室は或る意味で道場でもあったが、同時に一種の鹿鳴館でもあり大学でもあり会議室でもあった。「茶道即宗教」で茶の湯という展がりの大きな生活遊芸をすべて説明し去ることは無理が過ぎる。無理を承知で「茶の湯」を「茶道」にし、「宗教」にする意図の中に色眼鏡はないのか、というのが門外漢最大の懸念であるらしい。
(略)もしそれ「宗教」が「家元制度」を保守するに必要とあって借り物めいて掛けられる看板ででもあるなら、それこそ本物の宗教に対していかがなものか。それ自体、家元制度への危惧をより深める逆効果の短絡にはならないか、「家元」は「教祖」と同じではないのだから。
 世襲教祖の主宰する宗教を自分は信じない。絶対者の恩寵は人間の血脈の如き偶然を遥に超え、最も選ばれた者にのみ天来の声を囁きかける。かかる選ばれの前に人の世の親も子も孫もない。もし茶道は宗教であり、従って家元は教祖だというが如きなぞらえに自足するのが提唱の本義だとすると、いう所の「茶道」は二重三重の錯ちを犯しかねない。第一に、それは本物の宗教でなく、世襲教団の世俗権力機構をさらに真似たものということで、真実の宗教を二重に遠ざかり、それが却って茶の湯が本来もっている至純の倫理性をも窒息させることになる。第二に、いわば世襲教祖の地位に家元をなぞらえることで、家元制度が「芸」の世界に於てもつべき積極的な機能ただの建前として空洞化、形骸化させるおそれがあり、家元の存在を「芸」の頂点としてでなく、世俗集団の機能上の頂点に変質させてしまうことになる。それは最も悪しき天皇制の擬態でしかない。第三に、「茶の湯」が「茶道」に、「茶道」が「宗教」にという夜郎自大の変質変貌を、珠光から利休に至る茶の湯がすぐれて現代(彼らが生きた現代)に作用しえた社会的、審美的、精神的な働きと比較した場合、あまりにみすぼらしくやせて陰気な表情をもち、茶の湯という未来にも開かれた可能性に、反時代、背現代性を本意なく負担させて矮小化してしまうことになる。
 利休が、自分の死後僅かな歳月で茶の心は忘れられ、しかも茶の湯は心なき繁昌を謳歌するだろうと辛辣に予言したという伝説は、矮小化しがちな伝統の陥りやすいところを鮮やかに見当てている。
(略)京都にいた頃、母校の中学、高校の茶道部へ何十人かの後輩たちに手前作法を教えに通った。限られた条件で限られた範囲を、週に一度二度ずつどんなに楽しんで皆と稽古したかしれない。が、私は自分もそう思い仲間にもはっきり言った、もしお茶より大事な何事かが眼の前にあらわれたなら、その時は惜しげもなくなげうてるようなお茶でないといかんのや、と。吾が仏だけが尊しみたいな茶の湯にはすまい、交わりは、茶の湯とすら淡くてこそ茶の心やないか、と。
 茶にとらわれた、なんだか茶色い茶人があの頃も多かった。今も多い気がする。
(「淡き交わり」より)