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二代目市川左團次七十回の正忌に

 およそ如何なる藝術家でも――例へば、畫家、彫刻家、音樂家等々、孰れも――自分の作品をば見ること、聞くことが出來るのであるが、ひとり舞薹俳優のみにあつては、此事は不可能である。此事は舞薹俳優にとつて不幸のやうに誤認をする者がゐるかも知れぬが、然し、實は、そこにこそ、舞薹俳優の存在の意義があるのである。
 現在に於ては、映畫があり、音畫があり、ラヂオがあり、蓄音器があつて、舞薹俳優と雖も、自分の科を見ること、自分の白を聞くことは出來るが、然し、それらに依つて演ずるのと、舞薹に於て演ずるのとは、其科白两者の條件が全く違ふべきであつて、それに依つて現されたものは、既に舞薹の上の藝ではないのである。
 自分は知恩院の野外劇の時に映畫に撮られたこともあるし、またレコードに吹込まれたこともあるが、それらを見ても、それらを聞いても、舞薹の藝との喰ひ違ひが明かに缺點となつて現れて、或ひは自分の藝の缺點が、誇張をされて現れてゐるやうにさえも思われて、まことに不快な念を抱かせられるものである。然し、それらに囚れて舞薹がいぢけては實につまらぬことなので、それらは、ただ参考以上に、こだはる必要は無いと思つている。
 舞薹の藝とは、即ち、直接に観客の前で作り上げながら見せて行く藝である。従つて、所演する劇場の建築條件や観客の立場などを考慮しないと自分一人だけでは良いと思つても、意外の失敗を招く場合が無いとも云へない。
 卽ち、舞薹の廣袤や其遠近や観客席の條件等を考へずに演じたならば、圓柱や薹座の高さ大きさを考へずに其上に立像を置くやうなものであつて、如何に實物大の立像であらうとも、圓柱の高低に依つて其肢體の大きさや平均が違つて見えるやうに、また劇場の繪看板でも、下から仰ぐものと、前に立てるものとでは、其肢體の平均が違つて描いてあるやうに、俳優の藝も、それらの諸條件に従つて批判の角度が違つて價値附けられるものであるから、そこが非常に六圖加敷いところなのである。(略)

 また役者の藝といふものは、脚本と、役者の頭と、役者の藝との三つが揃はなければ、傑作は出來るものではないと考へられる。脚本が良くても藝が下手ではいけず、役者の頭が先走つて脚本や藝がそれに伴はなくてもいけず、今の若い俳優達や、新劇運動に携つている俳優達の間には、頭が先走つて、藝のそれに伴はぬという失敗が屢々見受けられるが、此三拍子揃つた傑作と云ふものは、一代の間にも數あるものではなくて、一生に一度でも良いくらゐだと思つてゐる。
 また役者の頭や藝よりも、脚本の方が少し低いものでないと、藝を振ふことが十分に出來無いといふ場合さへもある。これは現在の我國の稽古の日取りや其他の點からきてゐるのであるが、小山内君との自由劇場の頃、世界の名脚本を演じてゐる場合に、稽古日數でも十分にあればともかくも、これが短時日であると、其脚本の力に抑へつけられ、頭の仕事の解釋にばかり囚はれて藝が追はれ勝になり、ただ演じてゐるに過ぎないといふやうな經驗をしたことさへもある。然し容易しい脚本を選んで、なるべく仕勝手の好いものを演ずるやうにといふ意味では斷じてないので、ただ頭や藝の届く範圍のものでないと、準備日數の十分にあるものでないと、其結果がどうかと氣遣れるのである。
 一代の名舞薹であるとか、其役者でなければ出來ないものであるとか、と、云ふやうな前述の三位一體の傑作は、一般の人々が見ても眞に推服をするものでなければならぬので、少數の識者は種々の事情を知つてゐて、そのハンデイキャツプもあつて褒めるのであるから、事情も何も知らぬ人々迄もが、眞に推服をするやうなものでなければ、やはり、本當ではないわけである。
 或る醫學博士に「醫者は何歳位が一番腕の冴えてゐるところか。」と、聞いたことがあるが、其名醫の答へるには、四十歳から五十歳まづ六十歳位迄が一番の盛りで、それからは、ただ今迄の名聲や堕力で持續をしてゐるやうなものだとのことであつた。自分は、これを聞いた時に成程と頷けたが、役者も亦確に同じことで、六十歳位迄で其以後は大概堕力で走つてゐるやうなものであつて、藝其物が圓熟をしたといふ場合は別であるが、やはり先づ四十歳位迄に名を爲さぬような人だと心細いわけで、それから六十歳位迄が、身心共に最も油の乗つてゐるところであらうと思ふ。
 従つて、これからの芝居を進めて行く上に於ては、若い人達が、徒らな賣名的行爲を避け、只管に精進努力をして、一路、演劇の爲に盡してくれるやうに望んで止まないのである。
 一言に天才と云ふが、努力の無いところには、決して天才は生れない。――と、信じてゐる。

 上記は、二代目市川左團次著『左團次藝談』(南光社 昭和11(1936)年刊)からの採録である。左團次は昭和15年2月23日に病没した。享年六十、俳優としては「最も盛りの歳」であった。