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推奨の本
≪GOLDONI/2011年9月≫

『なぜ日本は行き詰ったか』 森嶋 通夫著
  岩波書店 2004年


 戦後の日本政府は、もはや天皇のための政府でなくなったが、経済的な国家主義を支持し続けた。これは敗戦に伴う貧困からの反動であるが、その結果、日本では明らかに民主主義はまがい物以外の何ものでもない。民主主義とは選挙によって大半の国民の意志が何であるかを確かめ、その意思を実行するような政府を形成することであるが、これは同時に、大半以外の国民の意思は何であるかを明確にすることでもある。したがって英国では野党が非常に大切にされている。野党が多数党を制御(チェック)する働きをしているのである。この働きが民主主義政治の核心である。すなわち政府は大半の国民の意志をそのまま実行するのではなく、野党によって制御された大半の国民の意志を実行するのである。(しかし日本では野党は全然力を持たず、野党を育てるという気風は全くなかった。だから日本には真の意味の民主主義は育たなかったのである。)
 野党のチェックなしで強引に国民の大半の意志を実行した政権は、次期あるいは次々期の選挙でほとんど確実に政権の座から引き下ろされる。こうして上からの資本主義―政府が特定の産業や企業を支持し続けるような経済―は長期にわたっては実現できなくなり、政府は企業に中立的でなければならなくなる。その結果、その国は民主主義のために小さい経済成長率で我慢することになるが、その結果得られる収穫は、全ての産業や企業が政府によって公平に取り扱われているということになる。日本において上型から下型への資本主義の移行の扉が開かれるならば、日本の各企業は少なくとも機会において、またしばしば結果において平等になり、日本は経済の民主主義ないし産業の民主主義の成立を祝えるようになるだろう。
(「第1章 序論」より)


 しかしこのような学閥を打破する意図をもこめて、文部省は一九九〇年代の中ごろから大学院の大拡充を始めた。ある大学の学部を卒業した後に、別の大学の大学院で学べば、卒業生は特定の大学に固着することはないから、学閥は融合するかもしれないと考えたからであった。しかし大学院の拡充は、現在の高等教育機構が供給しうる限度をはるかに越えた量の教員を必要とする。したがって拡充の初期での大学院教育の質は決して高いものにはならないならないだろう。にもかかわらず、教育や研究にたずさわろうとする青年はますます大学院での教育を終了せねばならなくなった。こうして教育期間は長くなり、実社会で働く期間は短くなった。そのうえかれらの個々人が二〇歳代後半に至るまで、奨学金、アルバイトおよび親からの支援で生活するということは、これらの人を実生活で幼稚化させ、著しくひ弱にしている。
 大学院を修了したものを実業界がどのように処遇するかは、この時点ではっきりしないが、理科系統の専門教育を受けた専門家を別にすると、大学院大増設の実業界に与える影響は小さいとみられる。しかも効果が現れるのははるかに長い期間を経た後である。しかし学生の方は、学部コースよりさらに上のコースが存在するというだけの理由で、大学院に進学しようとするであろう。こうして学部卒業生のなかで優秀だったものは、二〇歳代に産業界や金融界で働かなくなる。なるほど将来の日本人はより豊富な知識を身につけるでだろうが、日本にとっていま必要なのは知識ではなく、社会で働き、社会に貢献するという意欲を持っている多くの青年層である。
(「第4章 日本の金融システム」より)


 新制教育はいかなる種類の特殊性や属性も称賛することを避けるように型どおり実施された。生徒の記憶力は促進されたが、彼らの価値判断の能力は低下した。彼らは事実を記憶するのは非常に上手になったにもかかわらず、論理的思考に弱くなったので意思決定には優れていない。非常に高い大学進学率の結果として、教室は極めて騒がしくなった。今日の日本では、高等教育はもはやエリート主義のための前提ではない。ノブレス・オブリージ(高い地位には重い義務が伴う)の精神は、もはや日本の社会のどこの片隅にも行きわたっていない。国家は知識人が指導的エリートの役割を演じるように形づくられるのが儒教国家であるという理由からいえば、これは日本にとって決定的な打撃である。日本は底辺から崩れるのでなく、むしろトップから崩壊する危険性が大きい。
 一九七〇年代半ばから、多くの日本人学生がより高い学位を取得するためにアメリカに留学するようになり、そして有能な学生は日本の大学院を無視するようになった。このようにして日本はエリートの教育をアメリカに委託している。これは社会の分裂を一層広く深くすることになるだろう。


 明治維新の時には日本人は成し遂げねばならないことの明確なリストを持っていたので、彼らは幸運であった。彼らはまず民族国家を設立せねばならなかった。先輩国から情報を収集し、得られた方式に従うことにより、新日本を建設する仕事を遂行することは容易であった。しかし現在の危機の場合には、類似した航海図は全く入手不可能である。進歩的な国の建設に必要なあらゆるものはすでに達成されている。そのうえ、日本は勇気、公明正大さや正直のような資質をそなえている有能なやる気のある人物に乏しい。彼らのすべてが傑出している必要はないが、大部分の者がこれらの条件を充たしていなければならない。どのようにしてこのような人々を多数見い出すことができるだろうか。もちろんこれは教育の問題である。しかし戦後の新制教育がわれわれがいま必要とするタイプの人たちを造りだすことに失敗したことは、すでに知られている。下からの資本主義を形成するために必要とする重荷を負うことができる多くの人を造りだすことは、民族国家を造るために活躍する少数の傑出した人物を得るよりもはるかに難しい。日本がこれから造りだす多数の人々の資質との関係において、日本の将来の地位が決まるであろう。もしそれが低ければ、日本は国の順位づけでの大きい下落を受け入れなければならない。


 日本の政治家と官僚のこのような誰かの指令に忠実に従うという態度は、戦前・戦中の軍部独裁時代に学び取ったものである。彼らはその同じ態度を、戦後及び朝鮮・ベトナム戦争の間もアメリカ政治に対して示し続けた。日本は卑屈なまでに忠実な敗戦国であり、このことが日本が成功した最大の理由の一つであると、私の『なぜ日本は「成功」したか?』(一九八四年)は論じている。しかし風もなく、推進力もない状態では、日本は忠実に振舞うための相手を持っていないことを知った。日本のリーダーたちがこんなにひ弱く、かつ自信をなくしている限り、日本は自分がはまり込んでいる罠から脱出する力を持つ見込みはなく、日本の苦悩は限りなく続きそうである。
 生活水準は相当に高いが、活動力がなく、国際的に重要でない国。これが私の二一世紀半ばにおける日本のイメージである。
(「第8章 21世紀の日本の前途」より)