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推奨の本
≪GOLDONI/2012年1月≫

 
『戦後史の空間』   磯田光一著  
   新潮社  1984年
 

 1
 中村光夫氏の戯曲『雲をたがやす男』のなかに、つぎのような一節がある。明治維新によって旧政府(幕府)が消滅してしまう場合、対外的な借款問題がどう処理されるかという栗本鋤雲の危惧感にたいして、子の篤太夫はつぎのように説明するのである。

  内乱は国内政治の延長、というよりそのひとつの形にすぎないというのが彼の考えで、だからどっちが勝とうと、あとからできた政府は、さきの政府が、外国に負った責任をひきつぐにきまっている。これは万国公法の定めるところでもある。したがって、内乱が長びいて、日本が破産状態に陥ることを我々は心配しているが、そうでない限り、政府の交替などは意に介さない。要は条件次第ということのようです。どこの国にもレヴォリュウシヨンはおこる。しかし国は国として持続して行く。この二つは別のことなのだ、とフロリは微笑しながら、申しました。

 前半部で「内乱は国内政治の延長」というとき、維新の運動も一つの「内乱」にすぎないという認識がはたらいている。しかし後半で「どこの国にもレヴォリュウシヨンはおこる」というとき、このレヴォリュウシヨンは政権の交替だけではなくて、国家理念の変更をも意味しているのである。幕府が政権を持っていた時点にあっては、維新をめざす争乱はたんに「内乱」以上のものではありえない。しかし客観的には内乱による政権奪取をめざした動向も、それを推進した志士たちの主観の問題としては「レヴォリュウシヨン」と意識されていたのである。それが成功して新政府が成立してしまえば、「内乱」史観は「レヴォリュウシヨン」史観に転換せざるをえないだろう。しかし国際政治の舞台のうえでは、政府が国家を代表していさえすれば、その理念がどうであろうと二次的な意味しか持たないのである。
 中村光夫氏が『雲をたがやす男』を書いたとき、明治維新と二重うつしに一九四五年の敗戦を念頭に置いていたかどうかは問わないとしても、すくなくともこの戯曲の右の場面は、同一の国家の内部に二つの史観の成立し得る可能性を示唆していると思われる。(後略)

 2
 遠山茂樹氏らの共著による『昭和史』(岩波新書)にたいして、亀井勝一郎が『現代歴史家への疑問』(文藝春秋)を書いたのは昭和三十一年三月であった。すでに「国民文学論争」を経過し、左翼ナショナリズムが「民族戦線」の主張を押し出していたころ、唯物史観の立場に立っている歴史学者の著作は、新時代の史観をリードしていくかにみえた。それへの異議申立として最初に問題化したのが右の亀井論文であり、これを起点として「昭和史論争」が展開したことはよく知られるとおりである。
 亀井勝一郎の主張は、いまから思うとほとんど常識といっていいことに帰着する。その一つは、「皇国史観」と「唯物史観」とは、かつての「忠臣」が「逆賊」に転化したように、たんに価値観を入れかえただけの公式主義ではないかということである。「その中間にあって動揺した国民層のすがた」が「見あたらない」と亀井はいう。「戦争を疑い呪って死んだ若い学徒兵」の声のほかに、「あの戦争を文字どおり『聖戦』と信じ」た「無数の兵士」の声も聞かなければおかしいではないか、と亀井はいうのである。
 こういう亀井の主張を、たんに復古的言論と呼ぶことはできない。いまでこそ常識的とみえるこういう意見が「昭和史論争」として展開していった過程は、昭和史の書きかえの動向を象徴するものであった。前月の中野好夫の『もはや「戦後」ではない』(文藝春秋)が出、亀井論文の翌月に村上兵衞の『戦中派はこう考える』(中央公論)と吉本隆明氏の『「民主主義文学」批判』(年刊「荒地詩集」)が出ていることを考えると、占領下の昭和史観にたいする異議申立が、徐々に表面化してきた様子がうかがわれるであろう。亀井は『昭和史』の著者に向ってさらにいう。

  日華事変から太平洋戦争にいたるまで、無暴の戦いであったにせよ、それを支持した「国民」がいた筈である。昭和の三十年間を通じて、その国民の表情や感情がどんな風に変化したか。この大切な主題を、どうして無視してしまったのか。
 (「史観と歴史小説」より)