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推奨の本
≪GOLDONI/2013年1月≫

 『論語と算盤』 渋沢栄一著
 1985年  国書刊行会

 明治十七、八年(略)以後今日まで僅か三、四十年の短い年月に、日本も外国には劣らないくらい物質的文明が進歩したが、その間にまた大なる弊害を生じたのである、徳川三百年間を太平ならしめた武断政治も、弊害を他に及ぼしたことは明らかであるが、またこの時代に教育された武士の中には、高尚遠大な性行の人も少なくはなかったのであるが、今日の人にはそれがない、冨は積み重なっても、哀しいかな武士道とか、あるいは仁義道徳というものが、地を払っておるといってよいと思う、すなわち精神教育が全く衰えて来ると思うのである。
 我々も明治六年ころから物質的文明に微弱ながらも全力を注ぎ、今日では幸にも有力な実業家を全国到るところに見るようになり、国の富も非常に増したけれども、いずくんぞ知らん、人格は維新前よりは退歩したと思う、否、退歩どころではない、消滅せぬかと心配しておるのである。ゆえに物質的文明が進んだ結果は、精神の進歩を害したと思うのである。(「立志と学問」より)

 自分は常に事業の経営に任じては、その仕事が国家に必要であって、また道理に合するようにして行きたいと心がけて来た、たとえその事業が微々たるものであろうとも、自分の利益は少額であるとしても、国家必要の事業を合理的に経営すれば、心は常に楽しんで事に任じられる、ゆえに余は論語をもって商売上の『バイブル』となし、孔子の道以外は一歩も出まいと務めて来た、それから余が事業上の見解としては、一個人に利益ある仕事よりも、多数社会を益して行くのでなければならぬと思い、多数社会に利益を与えるには、その事業が堅固に発達して繁昌して行かなくてはならぬということを常に心していた、福沢翁の言に「書物を著しても、それを多数のものが読むようなものでなくては効率が薄い、著者は常に自己のことよりも国家社会を利するという観念をもって筆を執らなければならぬ」という意味のことがあったと記憶している、事業界のことも理にほかならぬもので、多く社会を益することでなくては正径な事業とは言われない、かりに一個人のみ大富豪になっても、社会の多数がために貧困に陥るような事業であったならばどんなものであろうか、いかにその人が富を積んでも、その幸福は継続されないのではないか、ゆえに国家多数の富を致す方法でなければいかぬというのである。(「算盤と権利」より)

 現今でも高等教育を受けた青年の中には、昔の青年に比較して毫も遜色のない者が幾らもある、昔は少数でもよいから、偉い者を出すという天才教育であったが、今は多数の者を平均して啓発するという常識的教育になっているのである、昔の青年は良師を選ぶということに非常に苦心したもので、有名な熊沢蕃山のごときは中江藤樹の許へ行ってその門人たらんことを請い願ったが許されず、三日間その軒端を去らなかったので、藤樹もその熱誠に感じて、ついに門人にしたという程である、その他新井白石の木下順庵における、林道春の藤原惺窩におけるごときは、皆その良師を択んで学を修め、徳を磨いたのである。
 しかるに現代青年の師弟関係は、まったく乱れてしまった、うるわしい師弟の情誼に乏しいのは寒心の至りである、今の青年は自分の師匠を尊敬しておらぬ、学校の生徒のごときは、その教師を観ること、あたかも落語師か講談師かのごとき、講義が下手だとか、解釈が拙劣であるとか、生徒として有るまじきことをくちにしている、これは一面より観れば、学校の制度が昔と異なり、多くの教師に接する為であろうが、総て今の師弟の関係は乱れている、同時に教師もその子弟を愛しておらぬという嫌いもあるのである。 
 要するに、青年は良師に接して自己を陶冶しなければならない、昔の学問と今の学問とを比較してみると、昔は心の学問を専一にしたが、現今は智識を得ることにのみ力を注いでいる、昔は読む書籍そのものがことごとく精神修養を説いているから、自然とこれを実践するようになったのである、修身斉家と言い、治国平天下と言い、人道の大義を教えたものである。(「教育と情誼」より)
 ≪『論語と算盤』1916年 初版刊行≫