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推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年8月》

春名幹男著『秘密のファイル ーCIAの対日工作』上・下
共同通信社 2000年刊

〈 岸に現金〉
米公文書の中で、ハード・エビデンスを実際に確認したのは、アリゾナ大学のマイケル・シャラー教授(歴史学)だ。
シャラー教授は一九九五ー九七年の間、国務省の「歴史外交文書諮問委員会」のメンバーだった。この委員会のメンバーは、外部専門家として、国務省の文書解禁をチェックする立場にある。だが、非公開の文書を外部に漏らすことはできない。
シャラーは筆者とのインタビューで、
「岸がCIA資金を得ていたのは、疑問の余地がない」
と言い切った。
しかし CIAによる工作を具体的に記した秘密文書はこれまでのところまだ、機密扱いを解除されていない。シャラーも、その内容を言うことができない。
「外交上悪影響を与える文書の解禁はできないからだ」
CIAのシンクタンクである「情報研究センター」の元所長で、CIA幹部として在日経験のあるデービッド・グリースは筆者にそう述べた。
米政府の情報公開は世界で最も進んでいる。しかし、CIAの文書は例外とされている。
「特に工作部門の文書は公開の義務がない。しかし、日本ではそれほどの秘密工作はやっていない 」
と故ウィリアム・コルビー元CIA長官は筆者に何度も話していた。イランやチリなどでの工作に比べたら、日本での工作など微々たるものだという意味である。
それにしても、マッカーサー二世大使の秘密電報などの内容は極めて強力な状況証拠だ。シャラー教授の証言もある。
岸にCIA資金が渡されたのは確実だ。
筆者も、独自の情報源をつたって、対日工作に直接関与した経験があるCIAの元幹部にワシントンで会うことができた。
果たして、本当にCIAは自民党に資金を提供したのだろうか。
彼は戸惑うことなく、
「党に渡した事実はないが、個人には渡した」
と言い切った。それなら、
「金を渡した相手は岸信介元首相か」
と聞き返すと、七十代半ばのその老人は黙って首を縦に振った。


〈普天間返還合意の舞台裏〉
沖縄返還から二十三年後の一九九五年、レークは再び沖縄問題に関与することになった。危機は乗り越えられた。その経緯も極めて興味深い。
一九九六年二月二十三日、カリフォルニア州サンタモニカでクリントンに会った橋本は、
「本当に言いたいことはないのか」
とクリントンに促されて、
「あえて付け加えるとすれば、普天間返還を求める声は強い」
と口を開いた、という。
だが、現実には、この時点でアメリカ側は、“落としどころ”は「普天間返還」と読んでいて、橋本の発言を予想していた。
橋本がなかなか口を開かないから、クリントンの方から誘い水を向けたのである。
少女暴行事件で、日米関係の悪化を懸念したレークは、何度かホワイトハウスで朝食会を開き、有識者の意見を聞いていた。その一人、リチャード・アーミテージ元国防次官補は早くから、「普天間返還論」を主張していた。アーミテージは一九九五年十一月、筆者とのインタビューでもその点を強調した。
沖縄現地でも、大田昌秀知事が普天間返還を口にしていた。当然ながら、この情報は在沖縄米総領事館からワシントンに伝えられていたはずだ。
首相官邸と外務省は、この時も、アメリカ側の周到な準備状況に気がつかなかったようだ。
日本は、橋本の「政治の師」だった佐藤とニクソンの間の「密約」の経験から、何の教訓も学んでいないことになる。
「安保改定交渉」でも、さらに今も、日本側は、外交の基礎に「情報」を据えていない。その上、決断は首相任せで、政府組織として、情報を集約し、機関決定する、という手続きを踏んでいないのだ。
従って、「安保」でも、「沖縄」でも、政府機関としては「密約」に関与しなかった。だから、アメリカ政府の情報公開で「密約」が白日の下にさらされても、外務省は「ノーコメント」としか答えられないのだ。

( 「第8章 政界工作」より)