2021年07月

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

アーカイブ

« 『火山灰地』(第一部)を観る | メイン | 『マルタ・アルゲリッチ 室内楽の夕べ』 »

『舞台芸術図書館』は『落穂ひろい』

25日のブログを書く時に参考にした倉林誠一郎の『新劇年代記≪戦中編≫』(白水社刊)に、昭和15年の2月20日の項で、千田是也が新築地劇団を退団した折の文章が載っている。
「今度新築地をやめました。別に新築地と私の間に根本的な思想的または芸術的対立があったからではありません。どうにもならぬ感情的対立がある訳でもありません。私と新築地の間にある種の仕事の分化が行われたのだと思って戴ければ私は一番気軽です。単に新築地とばかりでなく、職業的な新劇団の組織から一応自分を引離してみたく思っているのです。といって私は現在の新劇の職業化に反対な訳でなく、また、それに絶望している処ではなく、この職業化の線にそってしか現在の新劇の発展はないと信じ、またその前途に対してもかなり楽観しています。職業化のある程度の実現によって、新劇人特に俳優の専門的技術の定着がなされつつあることは、これまでの日本の新劇運動の歴史になかった意義ある事実として非常に大切にしなければならないことだと思っています。新築地もその意味で大いに栄えて貰いたいものです。職業化につれて若干の面白くない現象がともなうにせよ-職業化の軌道からは今は一歩もしりぞくことはあやまりです。やれ卑俗化だ、やれ低調だと騒ぎたてるあわてん坊の評論家たちのあやしげな処方箋をあまり気にせず自信をもっております。もっともこの軌道を長年あるいていさえすれば誰れもかれもが天才になれる訳でもなくまたそれだけでよい芸術が出来る訳でもないでしょうがそういうものの土台が生まれて来ることは確かです。(中略)新劇職業俳優が当面の仕事に追われて出来ないようなそれでいて彼等に大変必要なある啓蒙的な仕事があり、それをやることを光栄に感じて一人の男が、新築地から分化してそっちの方に自分を派遣したという風に今度の退団をとって戴ければ私は一番気が楽です。これは新築地にもいつかは役に立つ仕事だと思います」。倉林氏の引用はここまでだが、『会館芸術』4月号に載せたこの千田氏の文はその後も続く。『もうひとつの新劇史-千田是也自伝』(筑摩書房刊)から抜かせてもらう。「平生の仕事として、私が買って出たいのは、生まれつつある近代的な職業俳優術の〈落穂ひろい〉みたいな役です。」「この国の新劇俳優はみんな、いはば一種の独学者です。しかも貧乏な苦学生です。経験ある演技指導者ももたないうえに、この職業の奥底にふれたことのない多くのディレッタント的演劇改良家にこづきまわされすぎているのです。その結果、基礎訓練がないのです。……その唯一の表現手段である自分の身体や心理については、恐ろしいほど僅かのことしか知っていないのです。」「私がいま買って出ることを大変に光栄に感じている新劇職人道の落穂ひろいの仕事というのは、現在の日本の新劇職業俳優たちの経験を集めたり整理したりして、系統だったものにしていくこと、また演劇とくに俳優についてのいろいろの学問の結論をいまの新劇俳優がその仕事のあい間に楽に咀嚼できるようなものにして、そのそばまで持っていくこと、そうした啓蒙的な仕事です」。千田是也の『演出演技ノート』(八雲書店刊)の「あとがき」には、この後の文章が載っている。「日本では演劇学といふ奴がどうもあまり、演劇の実践から遠いところにゐるやうです。また学問として若いせゐもあるのでせうが、芝居道からあんまり遠い人たちの手ににぎられてゐるので困ります。ドイツのアドルフ・ウィンヅやフェルディナンド・グレゴリー教授のやうな舞台に立った経験のある人々の息がかからぬと、この学問はやはり本物にならぬのではないでせうか。まあさう云ふ人があらはれるまで、日本の演劇アカデミーと新劇の実際とを結ぶ橋のやうな仕事をやらせてもらへたら、私は大変光栄です」。 
千田是也のその後の活動やその成果は、私が説明するまでもないことだ。ただ、昭和劇界の巨人が成し得なかった事業の一つに、演劇図書館作りがあると思う。私のような浅学非才、無名な演劇人には、この巨人の仕事の〈落穂ひろい〉すら大変なこと。今日のこの長いブログをお読み下さった方々のご助力を切に願う次第。