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「バカが創り、バカが観る」のが現代の演劇か

「2.26事件」の日だからというわけでもないが、35年前に市ヶ谷の自衛隊基地で自決した三島由紀夫の『私の遍歴時代』(三島由紀夫評論全集、1989年、新潮社刊)を久しぶりに読んだ。「芝居には知的な興味から入って行く人と、体ごと入ってゆく人と、二種類あると思うが、私はどちらかといえば後者に属する。」「はじめて歌舞伎を見たのが、中学一年生のとき、歌舞伎座の比較的無人の「忠臣蔵」で、羽左衛門、菊五郎、宗十郎、三津五郎、仁左衛門、友右衛門の一座であったが、大序の幕が開いたときから、私は完全に歌舞伎のとりこになった。それから今まで、ほとんど毎月欠かさず歌舞伎芝居を見ているわけであるが、何と云っても旺盛な研究心と熱情を以て見たのは、中学から高校の時分であり、当時メモした竹本劇のいろんな型や要所要所やききゼリフは、今でもよく憶えているほどだ。」「さて、私には新劇的教養は全く欠如しており、外国の台本は手あたり次第に読んだが、翻訳劇を見る気は起らず、季節はずれの郡虎彦の戯曲などに夢中になっていた。」 「戯曲を書こうとしてはじめて私には小説の有難味がわかったのであるが、描写や叙述がいかに小説を書き易くしているか、会話だけですべてを浮き上らせ表現することがいかに難事であるか、私は四百字一枚をセリフで埋めるのすら、おそろしくて出来なかった。第一、小説の会話はどちらかといえば不要な部分であり、(もちろんドストエフスキーのような例外もあるが)、不要でなくても、写実的技巧を見せるためだけのものであることが多いのに、戯曲ではセリフがすべてであり、すでに私が能や歌舞伎から学んだように、そのセリフは様式を持っていなければならぬ」。
三島由紀夫は大正末期に生まれ、昭和45(1970)年に昭和と同じ歳で自決した。その17年前の昭和28(1953)年には三島とも親交のあった劇作家の加藤道夫が35歳で自殺しているが、昭和33(1958)年には、20世紀の最初の年に生まれた劇作家の久保栄が自殺している。それぞれ45歳、35歳、57歳と、なんとも勿体無いほどの早死にである。
久保栄の『火山灰地』は、先月の第一部に続いて、来月20日から第二部が上演される。今月の初め、明治大学の神山彰先生が見えた折、先生から、久保栄の劇作に歌舞伎の影響が大きいと教わった。共同通信電の演劇批評で矢野誠一氏はこの『火山灰地』を取り上げ、「登場人物の出入りのたくみさなど、久保栄の演劇的教養の基本が歌舞伎にあったことを教えてくれ…」と書いている。
三島の演劇的教養が、幼少からの歌舞伎や能であり、久保の演劇的教養は、学生時分からの新劇と歌舞伎から。加藤のそれは、旧制中学生時分からのフランスはじめ欧米の戯曲研究だろう。
下北沢で若手の劇作・演出による新作公演を観て、過去の戯曲や映画から着想をパクッただけの作劇にあきれ果てた長年の友人から届いたmailには、「バカが創り、バカが観るものが現代の日本演劇」とあった。教養の凋落がいわれるこの時代、その先頭を走るのが演劇だろう。書くべきなにものも持たず、「描写や叙述が書き易い」小説すら書かず、三島に「会話だけですべてを浮き上らせ表現することがいかに難事であるか」と歎かせた劇作の難しさも知らない、演劇的教養の乏しい、遊び気分の悪ふざけやお遊戯の延長が演劇とでも思っているような、愚劣愚鈍な現代の演劇人やその周辺の業界関係者とやらに出遭わずに済んだだけ、久保、加藤、そして三島は幸いだった。
「藝術生活は断じて囲碁謡曲と同列の娯楽でもなければ俗に云ふ所謂「趣味」と称すべきものでもない。」「俗物から見れば滑稽とも馬鹿正直とも見える程に生真面目なそして熱烈な生活である。ふざけた洒落気分の弛緩した生活ではない。藝術が趣味とすることが出来るから藝術のすべてが趣味的のものであるとは言へない。かかる程度では文化活動の第一線に立って何が出来るか」(『象牙の塔を出て』)。厨川白村の言葉である。