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蜷川『リア王』の二分された劇評

先月末に販売用の本棚を整えていて、蜷川幸雄著『NOTE増補1969-2001』が棚から大きくはみ出ているのが目に止まった。それを手にしてパラパラとめくっていて、巻末にある扇田昭彦氏の「蜷川幸雄の闘いと変化」という文章を読んだ。その中には、埼玉とイギリスで公演した『リア王』についての言及があり、蜷川がロイヤル・シェイクスピア・シアター初のアジア人招聘演出家であり、その「日本的色調を強く打ち出した蜷川演出に対して、ロンドンの新聞劇評は批判と肯定へと、評価が大きく分れた」とあった。「ガーディアンの劇評家マイケル・ビリントンは『蜷川新演出を酷評した批評家はなぜ半分しか正しくないのか』という異例の論評を書き、蜷川演出に批判的だった他紙の劇評家の不公平さをたしなめた」ともあり、このあたりの事情を書いたと思われる、私にとっては未読の参照資料をあげていた。
「不公平な」新聞劇評がどんなものであったのかが気になる。お越し戴いたり劇場ででもお見掛けしたら扇田氏に伺ってみようと思った。
今日、久しぶりに資料の整理をしていて、ある学会の研究集会での研究発表の資料に、この『リア王』についてのものがあり、巧い具合に、「二分した劇評」との括りで、彩の国さいたま芸術劇場、バービカンシアターでの公演での新聞劇評を載せていた。バービカンの劇評が、扇田氏が言われるところの不公平な劇評なのかも知れない。
その資料から、「二つの劇評」を採録させて戴く。
「細部に多くの新しい解釈を加えつつ全体を正統的にまとめる。より成熟した演出がなされている。(中略)主演のナイジェル・ホーソンはさすがに風格のある演技。前半はもう少し愚かしい激情がほしいが、狂気に陥ると、演技におかしみが生まれ、舞台が弾む。」『朝日新聞』1999年9月27日
「ああ、このプロダクションは、この万人の共感を呼ぶ才能あふれる喜劇俳優が、賞賛の歓呼の中で、引退の花道を歩む道を閉ざしてしまったのだ。(中略)英国の俳優と仕事をするとき、蜷川は弱点を露呈する。つまり人物解釈や、テクストの掘り下げよりも、明らかに演劇的効果を大切にするという点である。傑出した俳優たちは、何のよりどころも与えられず、自分の技術を頼りにするのみなので、時には別の作品を演じているように見えてしまう。(中略)しかし、この作品を本当にもて余していたのは蜷川なのである。」『インディペンデント紙』1999年10月30日