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「閲覧用書棚の本」其の七。『藝のこと・藝術のこと』

 小宮豊隆著『藝のこと・藝術のこと』は1964年、角川書店の刊行である。彼には初代の吉右衛門を描いた『中村吉右衛門』(1962年、岩波書店刊)があるが、いずれこれも取り上げるつもりだ。
 小宮豊隆については、中学生の時分に目にした『夏目漱石全集』の解説や漱石の年譜かなにかで初めてその名を知った。『三四郎』のモデルだということも、そのころに親から聞いた覚えがある。東京帝国大学の独文科の学生時代から、後の物理学者の寺田寅彦などとともに漱石を度々訪ね、後に門人となる文学者で、能楽や歌舞伎、松尾芭蕉の研究者としても著名であるが、大学生だった私には、ストリンドベリイの『父』の翻訳をした人物としての記憶が新しい。
 今回採取する文章は、「歌舞伎の役者」である。1951(昭和26)年6月24日の執筆とある。54年前に豊隆が指摘した歌舞伎の危機的な状況は、今も続いている。先日も書いたが、九代目団十郎、五代目菊五郎、初代左団次などの「名優の死と共に真の歌舞伎劇は亡び、その後は一種の変体に属する」と岡本綺堂は述べた。歌舞伎は百年も前から危機的な状況なのかもしれない。2月12日の『提言と諌言』<『新劇』と『リアルタイム』>で書いたが、「今や崩壊したにも等しい新劇」との妥当と思える表現に過剰に反応、「根拠のない言葉の繰り返しにうんざり」させられたと新聞劇評に書いた演劇評論家がいるが、私が「歌舞伎の危機的状況」を指摘したら、同様に
 「根拠のない発言」として、歌舞伎俳優の番頭のようになっている演劇評論家あたりから非難があるかもしれない。
 歌舞伎俳優のスキャンダルや刑事事件が続出している。2月2日の『提言と諌言』<松竹に『俳優の刑務所訪問』を勧める>でも指摘したが、この先も愚かな俳優による犯罪やトラブルは増えるだろう。企業としての生き残りに必死の興行資本や無責任なメディアが作り上げた人気があるだけの、五十歳になってもちゃらちゃらした俳優に、子供の躾や弟子の指導が出来る訳がないだろう。還暦を迎える俳優は、遊び更ける倅を叱れず、その倅が仕出かした不始末を親として詫びる手紙で、己の孫にも当たる、婚外子として父親の無いハンデキャップを負わされた赤子と、倅に弄ばれた女性に、「お子様の成長をお祈りします」と書くような俳優が、倅にどんな躾をしているのか、弟子にどんな指導をしているのか凡そ想像がつくだろう。こんな天晴れな御仁を委員に委嘱している文部科学省の文化審議会、どんな文化を論じているのだろう。江戸歌舞伎の大名跡の襲名が約束されているこの倅が、催しなどに度々遅刻をしたり、芸能タレントと浮名を流し、競馬などの賭け事に興じている様を報道で知るにつけ、私の心配は現実のものとなるような気がしてならない。
 芸能としても制度としても組織としても機能不全を起している歌舞伎だが、国は伝統芸能としての歌舞伎を民間の一興行資本に任せず、文化財保護の対象として、本腰を入れて対処すべき時期に来ていると思う。

 「若い歌舞伎の役者の新作物を手がけることが、このごろの流行になりかけている。歌舞伎の芸の鍛錬はむずかしいし、在来の歌舞伎の脚本で人を動かすことは困難である。あまり骨が折れないで、何かしら新しそうに見えるものを演じた方が、評判になる公算が多いに違いない。新作物が流行しそうになっているのも、無理はないかも知れない。(中略)新作物を手がける以上は、どこか演技の上で新しいものが出ていたり、感情の上で新しい表現が出ていたりしなければならないのである。いくらかでも芝居になっている所は、実は歌舞伎の古い型を使っているようでは、何の為の新作物だか分らない。これにはやはり座方まかせでなく、役者が自分で脚本を選んで、自分で工夫し、自分で新しい芝居を作り上げようとする見識と情熱とが必要である。
 ストリンドベリは、役者はあまり本を読んだり物を考えたりしない方がいい。そうすると役者はとかく生意気になりたがり、芸に計算が見えたりしていけないといっている。そうもいえるには違いない、然し私は若い歌舞伎役者は、逆に、生意気にならないように、芸に計算が見えないように気をつけて、もっと本を読んだり物を考えたりするがいいと思っている。もっともストリンドベリはそう言ったあとで、役者は戯曲なぞは読まなくてもいいが、小説を読むといろいろ得るところがある。例えばディケンズなどは、戯曲作者よりも更に根本的に人間を捕え、無限に複雑な心理を覗かせてくれるのみならず、あらゆる人物の動作と表情とを実に豊富にまた実に見事に描き出していると、つけ加えた。人間と人間の心理と動作と表情との種種相に通じることは、歌舞伎役者のみでなく、一般の役者にとって必要欠くべからざることであるが、それには研究と反省とが常に心がけられなければならないことは言うまでもない。
 若い歌舞伎役者が新しくなりうる為に一番必要なことは、贔屓の客の機嫌をとるという、あの歌舞伎役者の生活から抜け出ることである。長い因習の力でそれが急には実現できないとすれば、少なくとも自分の生活を引き締めて、研究と反省との生活にできるだけ多くの時間を捧げることである。ふところ手をして据え膳に座っているのでは新しくなりようはない。この際私がまず勧めたいことは、例えばスタニスラフスキイの『俳優修業』のような本を、肚に落ちつくまで精読し通すことである。」