一 女形は楽屋にても、女形といふ心を持べし。辧当なども人の見ぬかたへむきて用意すべし。色事師の立役とならびて、むさむさと物をくひ、さてやがてぶたいに出て、色事をする時、その立役しんじつから思ひつく心おこらぬゆへ、たがひに不出來なるべし。
一 所作事は狂言の花なり。地は狂言の實なり。所作事のめづらしからん事をのみ思ふて、地を精ださぬは、花ばかり見て實をむすばぬにひとしかるべし。(中略)花のさくは實をむすぶ為なれば、地をたしかにして花をあしらへと、若き女形へ度々異見せられし。
元禄時代の名女方であった芳沢あやめの芸談「あやめ艸」全二十九條の内のよく知られた二條である。
十歳の頃、道行ものの清元『お染久松』の久松を渋谷の今は無き東横ホールで踊ったことがある。稽古ではお相手の主役・お染さまの拙さに泣かされたが、その外の稽古場まで私の着物を入れた風呂敷を持って付いて来て呉れた内弟子のお姉さんから、その様子を耳にした師匠に諭された。
「下手を相手にしたときには、その下手を上手に見せるように心掛けなさい」。
私も充分に下手の部類だと思っていたが、お染さまよりは上手である事を認められたことがうれしく、稽古よりは出来の良い本番になった覚えがある。師匠のあの時の言葉が、「あやめ艸」にあることは、乙葉先生の講義を受けた時に知る訳だが、彼女が郡司正勝先生と勉強会を続けていた事を知ったのもその頃だった。この師匠には、「浄瑠璃をしっかり読みなさい」「良い舞台を観なさい」などと良く言われた。最近何を読んでいるかと訊かれ、辻邦生と応えたら、「いいセンスしているわ」と、珍しく褒められたりしたのも、その頃だった。
かつて舞踊家は、一級の教養人でもあった。
この師匠のことは、昨年の12月19日の『提言と諌言』<水道橋能楽堂の『劇場の記憶』>に書いたので、ご笑読戴きたい。
一 人の金をかへさず、はらひもせず、家をかい、けつこうなる道具を求め、ゆるゆると暮す人と、相手の損ねる事をかまはず、我ひとり當りさへすればよいと、思ふ役者が同じことなり。金をかしたる人何ほどか腹をたつべし。相手になる役者みじんに成ことなれば、つゐには身上のさまたげともなるなりと申されし。
享保14(1729)年、57歳で没した吉沢あやめの言葉は、三百年後の今も新しい。
かつて俳優は、一級の観察者でもあった。