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「閲覧用書棚の本」其の十四。『役者論語』(四)

今回は元禄時代の大名優・坂田藤十郎などの聞書として知られる金子吉左衛門著「耳塵集」である。

一 或藝者、藤十郎に問て曰、我も人も、初日にはせりふなま覚なるゆへか、うろたゆる也。こなたは十日廿日も、仕なれたる狂言なさるるやうなり。いかなる御心入ありてや承りたし。答て曰く、我も初日は同、うろたゆる也。しかれども、よそめに仕なれたる狂言をするやうに見ゆるは、けいこの時、せりふをよく覚え、初日には、ねからわすれて、舞臺にて相手のせりふを聞、其時おもひ出してせりふを云なり。其故は、常々人と寄合、或は喧嘩口論するに、かねてせりふにたくみなし。相手のいふ詞を聞、此方初て返答心にうかむ。狂言は常を手本とおもふ故、けいこにはよく覚え、初日には忘れて出るとなり。

昨04年6月の当方のHPのリニューアルで、毎月の『推奨の本』というページを始めたが、今年05年3月のそれに、歿後に十代目市川團十郎を追贈された市川三升が書いた 『九代目市川團十郎』(1950年 推古書院刊)を取り上げた。

「父は常に門人等に教えて曰ふ。
台詞は覚えたら一度忘れてしまふことだ。そして又新しく覚える。すると今度はほんたうの自分の腹から台詞が出て来るし個性と言ふものが出て来る。舞台に出てもし台詞がつかえたりすると、ややもすると自分が丸出しになり味もなにも無くなって醜態を演ずることになる。そこを一旦忘れて更に覚え直すことになれば、自然台詞の意味もよくわかり、気分もはっきりするから、徒らに台詞に捉はれるといふことが無くなる。忘れたらその台詞に似た言葉でふさげ。
台詞はただうろ覚えに覚えただけではいけない。腹に台詞を畳み込んで置けば、同じ意味の言葉で責をふさげるから、頓挫を来すことは無い。…」(「時代と世話と」より)

九代目は、この役者論語の耳塵集を若い頃から読んでいたことだろう。このことを舞台で実践し、また実感したことだろう。
「覚えて忘れろ」は、明治の名人のひとり、七世市川團蔵の言葉だったか。
『歌舞伎十八番集』の脚注に郡司正勝氏が書いているが、初代中村吉右衛門はその母から、「せりふをおぼえたら、一度忘れてしまえ、そうでないと、いかにも機械の様になって、本当の味が出ない。舞台にニジミが出ないよ」と教えられたという。ちなみに、この母・嘉女は、市村座の座附茶屋『萬屋』の娘で、上方役者の三代目中村歌六に嫁したが、長子の吉右衛門には、父の真似をしてはいけない、九代目の真似をしなくてはいけないと教え込んだほどの団十郎贔屓で、そんなこともあってか夫婦喧嘩が絶えなかったという。
付け加えれば、この吉右衛門と三代目中村時蔵は正妻・嘉女の子であるが、十七代目中村勘三郎(当代の父)は、還暦を過ぎた歌六とお妾との間に出来た子である。先だっての十八代目襲名披露興行に、親族である二代目吉右衛門や、五代目歌六ほかの一門の主だった俳優が出演していないという異常な事態を、新聞記者や歌舞伎評論家は書いたのだろうか。不勉強で知らなかった者もいるだろうし、判っていながら事情があってか書かなかった者もいるのだろう。
ともに先代になるあの兄弟間にあったであろう諍いが、子や孫の代にも影を落としているのだろう、か。