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「閲覧用書棚の本」其の十四。『役者論語』(五)

今回は民屋四郎五郎著の「續耳塵集」から、いくつか採録する。

一 元祖沢村長十郎、狂言に、長持のうちに忍びの者ゐるをしつて、鑓にてつく仕内ありて、長十郎袴のももだちとり、思入してつかつかと行き、なんのくもなく長持をつきしに、坂田藤十郎其時いふやうは、さてさて長持のつきやう心得がたし。ちとちと工夫せられよといひければ、長十郎其夜工夫して、翌日袴のもも立ちを取、長持の傍へつかつかと行、又跡へ戻り袴もおろし、そろそろとさし足して長持の傍へより、聞耳をたて、内に忍びゐる様子を考へて、一ト鑓につきければ、藤十郎手を打て、さてさて驚き入たり。後々は其一人たるべしと、ほめられたるとかや。はたして三ケ津に名人の譽れ高し。

一 金子一高曰く、狂言末になれば、役者ざれ笑ふ。我は末に成ても大事によく勤む。その故は東國西國數百里あなたの人、今日の見物の内に有。其遠方の稀人は、又と見る事なし。名ある役者のざれて見せるは、残念の事也。藝者のたしなむべき義と、同座の人におしへけり。

一 櫻山庄左衛門はせりふ付に便有ゆへ、古歌をよく覺しとて、此人三千餘首古歌をそらにて覺たり。それゆへ庄左衛門はせりふ付上手也と、役者よく用ひたり。

一 片岡仁左衛門曰く、俳諧を仕習ふべし。神祇・釋教・戀、何にても役にしたがひ心も詞も文盲ならず、藝のたよりとなるは、はいかい也とすすめしと也。

一 ある老翁曰く、役者に五徳あり。貴き御方の前にもゆるされ出、諸人に賞せられ、自然と古語を覺へ、又勤めて脛脈をめぐらし、嗜て年若く見ゆ。

昨年6月の当HPのリニューアルで新規に作った『推奨の本』のページでは、度々、岸田國士、岩田豊雄、加藤道夫、千田是也、浅利慶太など演劇の先達の本から、特に演劇人にとっての教養のあり方について言及されているところを採録させてもらった。是非、まとめてお読み戴きたい。
芳沢あやめ、坂田藤十郎など元禄期の名優たちばかりか、下って明治期の九代目團十郎など傑出した俳優たちは、観察者であり、そして教育者でもあった。そして彼等は、それぞれがその時代の一級の教養人であった。
60年代のアンダーグラウンド演劇が勃興してのち、教養のある演劇人は絶滅した。傑出したと呼ぶべき俳優もおらず、規範とすべき作品も無く、規矩正しい演劇人が消えた今、これからの演劇を、次代の演劇人を誰が創り育てるのだろうか。
今年の春から、新国立劇場に演劇研修所が設けられた。所長、副所長を務める演出家たちは、商業演劇、芸能プロなどの芸能人・タレント出演の舞台演出で凌ぎをしている。そんな者たちが中心になって運営している研修所の研修生は15人、今年度予算は6千数百万円である。研修生一人あたりでは4百万円を超える額になるが、全額が国費である。「演劇」や「芝居」という字すら満足に書けない者が多数いるといわれる研修生たちに、芸能界擦れした教養人でも教育者でもない彼等は、一体何を教えているのだろうか。