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「閲覧用書棚の本」其の十六。『ふゆばら』(弐)

『青い鳥』の大阪公演に出演するために早稲田大を中途退学し、演劇に専心することになった21歳の友田恭助は、大正9年12月、早稲田大での友人や、当時14歳の水谷八重子とともに『師走座』(のちに『わかもの座』と改称)を結成、坪内逍遥作の『現代男』やシュミット・ボン作『ジオゲネスの誘惑』、ビヨルンソン作の『森の処女』を上演した。演技指導は青山杉作であった。
稽古は麹町(現在の五番町辺り)の伴田(友田の本名は伴田五郎)家の屋敷で行い、公演は、小石川関口台の、今は椿山荘の一部になっている、伴田土地会社所有の広大な土地に露天舞台を作り、邸宅から、「アームチェアだのテーブルだのは、見張りをつけておきましてそつとみんなで持ち出し」「しまいには、ドアのハンドルまでとり外」
ずして舞台に飾ったという(『ふゆばら』)。
この辺りは、スタニスラフスキーが子供の時に、その邸宅や別荘で家庭劇で遊んでいたことを思い出させる。友田の演劇への開眼も、子供時分の茅ヶ崎の別荘での、従姉弟達との「芝居ごっこ」だったという。同じ茅ヶ崎の近所にあった別荘に来ていた土方与志と知り合ったのもこの頃である。友田や水谷たちの世界は、チェーホフの『かもめ』に描かれた世界と近似している。
その後も水谷は、「ともだち座」でダンセニイの『アラビヤ人の天幕』やチェーホフの『かもめ』、ストリンドベリの『熱風』に出演。井上正夫ともプーシキンの『大尉の娘』などを上演している。
大正13(1924)年2月、18歳の水谷は、第二次「芸術座」を結成、イプセンの『人形の家』を上演する。水谷のノラ、友田のヘルメル。演出は青山杉作である。
この年の6月、小山内薫、土方与志、和田精(イラストレーター和田誠氏の父)、汐見洋、友田恭助、浅利鶴雄(劇団四季・浅利慶太氏の父)の六人の同人によって組織された築地小劇場が開場した。

―友田さんとは青山先生の指導のもとに「わかもの座」という研究劇団をつくつてイプセンの「幽霊」などを上演、将来とも一緒の舞台を念じていましたが、震災後、築地小劇場ができたとき、私は義兄と一緒に第二次芸術座を組織したため、築地へ行くのをことわつてお別れしました。もしあの時に私が築地にいつたらどんなことになつていましたでしょうか。同時にいま私が念じている新劇への精進はなかつたことだけは確かでしょう。(「新劇への激しい欲求」)

築地小劇場出演の時は「客演という事になる」、と思っていた水谷だが(田村秋子・伴田英司共著『友田恭助のこと』(私家版、1972年刊))、ついにその機会は訪れなかった。