江藤 淳著 『西洋の影』
1962年 新潮社刊
だいたい、ユシェット座に行く氣になったのが全くの偶然だった。ホテルで劇場案内をもらってひろげてみると、イオネスコの芝居をやっているところがあるのが眼についたのである。前の晩は「オペラ・コミック」に行って下手なのに呆れて歸って來た。サルトルの一幕物ばかり並べている劇場もあったが、東京の新劇で觀たことのあるものばかりで、氣が進まない。どうせここまで來たのだから、イオネスコを見物してやろうという氣持になった。切符はホテルの番頭にいうとすぐとってくれる。しかし、べら棒に高くて、テアトル・フランセの一等以上である。どんなに立派な劇場でやっているのかと思ったら、あまり小さくて汚らしいので拍子抜けがして、そのとたんに急に興味が湧いて來た。
前衛劇が、これほど生活臭の濃厚な小劇場で演じられるということは、健康な徴候である。演出家も俳優も、イオネスコでもうけようとは思っていないであろう。しかし、それで商賣をしようとは思っている。だから切符も高いのであり、高い金を出して來る客を納得させ、樂しませて歸すだけの藝の自信もあるに違いない。少くとも、この裏街の、猫の額ほどの小屋でやっていることが、日本の新劇の多くの場合にそうであるような藝術ゴッコであるわけがない。前衛であろうが後衛であろうが、役者が芝居をするときには、喰うか喰われるかの商賣でやるのである。それが觀客に理解されがたい前衛劇であればなおさらのこと、自分のやっていることは坊ちゃん嬢ちゃんのお遊びではなくて、ちゃんと賣りものになるれっきとした商賣だという心意氣が一本通っていなければなるまい。それだけの腹がなければ、この世智辛いヨーロッパで、新しい芝居などをやっていられるはずはない。逆にいえば、そういう抵抗感に支えられているからこそ、前衛作家の芝居も破壊力を發揮できるし、同時に藝術になるのである。
(中略)出し物は二つで、最初に「禿げた女歌手」というのを演った。ニ、三年前から「三田文學」や新劇雑誌に反戯曲(アンチ・テアトル)というものの紹介や翻譯が載りはじめているのは知っていたが、難解な解説を讀みかけても何のことかさっぱりイメージが湧いて來ないので途中でやめてしまった。だいたい、テアトルもまともに出來ていない日本の新劇で、アンチ・テアトルもへったくれもあるものかと向っ腹を立ててしまったから、イオネスコの戯曲の一つも讀んだことがなく、したがって豫備知識は皆無である。だが、豫備知識のいるような前衛劇が此の世にあるだろうか? 日本の新劇人は、前衛劇を觀て何かを感じる前に前衛劇についての豫備知識をいっぱい頭につめこんでしまう。新劇人だけではない。日本の新進小説家も同じことで、外國の新小説を讀んで何かを感じる前に外國の新小説についての新知識で頭を埋めてしまうのだとすれば、こういうふうなかたちで何でもわかってしまうことが果して幸福なことなのかどうかはわからない。
(「パリで觀たイオネスコ」より)