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左團次の第二次自由劇場旗挙宣言(一)

 ―市川左団次、自由劇場の旗挙げきまると、この日の都新聞は次のように報じている。
「やるゾといふ気構えだけで劇壇に大きな波紋を描いた左団次の自由劇場は、昨年十二月各方面に挨拶状を送った切り鳴りを鎮め、大江主事以下、伊藤熹朔、田島淳、小出英男、本庄桂輔の諸氏が一切を委せられ、裏に廻って着々準備を進めていたが、最高諮問機関として、顧問に島崎藤村、菊池寛両氏の就任方を頼んだところ、両氏ともに快諾、出来得る限り援助するという返事を得、之に力を得て自由劇場は急速に具体化し、いよいよ新秋十月末、東劇で再建の旗挙公演を行える見通しがつくところまで漕ぎつけた。自由劇場は演劇文化のためにつくすことを建前に、左団次が私財を投出して一切の費用を負担しようとするもので、俳優は脚本を第一義とするため、演出者の希望によって、歌舞伎畑ばかりでなく、広く新派、新劇の中からも選ぼうという方針、その手始めに作品の提供を岸田国士氏の劇作一派、村山知義、三好十郎、久板栄二郎、久保栄、真船豊に当ったところ、村山、三好の両氏が承諾、六月一杯には時代物の脚本を書き上げることを約束、真船豊氏も現代物五幕を執筆中で、これは今月中に完成するので、この三つの中から選び大体時代物、現代物二本立となる予定である。―

 倉林誠一郎著の『新劇年代記』<戦中編>からの引用である。
 岸田國士、岩田豊雄、久保田万太郎の三人が文学座を創立する直前の1937(昭和12)年5月7日、二代目市川左団次は、正式に第二次の自由劇場の旗挙げを宣言した。しかし、左団次は、その二ヶ月後の7月7日に起こった中国・盧溝橋事件を発端とする日中戦争に配慮して旗挙げを取り止め、また不運にも病を得、1940(昭和15)年2月23日に病没する。この年の都新聞の「演劇回顧」には、「左団次の自由劇場は今年一番の期待されてゐた」が、「無期延期となったことは,沈滞の歌舞伎に活を入れるものと期待されてゐただけに拍子抜け」とある。短い文節で、二度も「期待」と書かざるを得なかったほど、筆者の、あるいは当時の劇壇の「期待」は大きなものだったのだろう。
 一昨年の6月20日にこのブログ『提言と諌言』で始めた「閲覧用書棚の本」では、その第一回に『左團次藝談』を取り上げている。ご笑読をお願いする。
http://goldoni.org/2005/06/post_96.html

 二代目市川左団次が第二次自由劇場の旗挙げを宣言した1937年5月7日は、70年前の今日である。左団次の幻に終った宣言に思いを寄せたい。
 私にとっては最も大切な、『七十年』である。