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推奨の本
≪GOLDONI/2007年10月≫

小宮 豊隆 『中村吉右衛門』
 1962年  岩波書店

 吉右衛門のお母さんが団十郎贔屓で、お父さんの歌六が吉右衛門に、自分流の芝居を教へてゐると、そばについてゐて片端からそれをぶちこわして行き、仕舞には夫婦喧嘩が始まつて、「お前、そんなに堀越(九代目団十郎の名字-引用者注)が好きなのなら、なんでおれのところへ嫁にきた、いつそ堀越の嫁になれ」とお父さんがどなりつけることもあつたといふ話は、有名である。このお母さんは昔の市村座の座附の茶屋の、万屋の娘だつたといふが、いろいろ話を聞いて見ると、随分えらいところのあるお母さんだつたらしい。私は昔一度会つたことがあるが、別に立ち入つた話をしたわけでもなかつたので、えらかつたかどうかの印象は、私には残つてゐない。
 吉右衛門によると、吉右衛門のお母さんは「黒勝」と言はれた名人の花柳勝次郎の弟子で、五つ六つの時分から踊を仕込まれたのだといふが、芸ごとに明るい人で、吉右衛門は絶えずその監督を受け、芝居があくと必ず初日に見に来て「ピンからキリまでダメの出し通し」で、吉右衛門は一度だつてほめられたことはなかつたさうである。これはお母さんは純粋な江戸つ子で団十郎贔屓で、お父さんは上方生れで重い伝統を背負つた上方役者だつたので、芸といふものに対する考へ方の相違が、とかく吉右衛門の芸に対するお母さんの小言になつたものに相違ないが、然しそれだけではなく、お母さんには江戸の芸だの上方の芸だのといふものを超えて、もつと広い意味での芸に対して、相当しつかりした見識があつたせゐではないかと思ふ。
 吉右衛門が子供芝居に出て人気を一身に集めてゐた際に、お父さんに話して、子供芝居に出し続けることを思ひとまらせ、吉右衛門が十六歳の時、歌舞伎座の慈善興行に出て『寺子屋』の松王を勤め大変好評を博したのを機会に、吉右衛門を歌舞伎座の座附にしてもらひ、団十郎の手許で端役や傍役を丁寧に勤めさせるやうにしたのも、お母さんの力だつたらしい。
 子供芝居の子供には、ほんとの腹は分からない。分からないままで大人の芝居をするのだから、芸が小さく固まつてしまふおそれがある。従つてこれには百害があつても一利はないと言はれてゐる。それと同じ立場に立つて、お母さんは、若い者は若い者に似合ひの役を勤めながら、自然の順序を踏んで、大きく勤め上げて行くべきだと考へたものだろうと思ふ。もつとも吉右衛門は晩年になつて、一概にさうも言ひ切れない。早くからむづかしい役で鍛へて置けば、大人になつてから役の性根の呑み込みも早く、動きや調子、間やイキをしつかり身につけることができる。芸が固まるとか小さくなるとかいふのも、所詮本人の心がけと勉強とにある。従つてこれは切替へる時のやり方一つにかかつてゐるといふべきだと言つた。これはまつたくその通りである。然しこれは自分の経験を決して無駄にせず、何もかも自分の芸術を大きく育て上げる為の栄養にすることのできた、吉右衛門のやうな役者であつて初めて言ひうることで、その吉右衛門を教育する上でお母さんの採つたこの際の態度は、やはり当を得た態度だつたと言ふべきである。 
 (「吉右衛門のお母さん」より)

 吉右衛門は役の性根をしつかり押へた上で芝居をした。然しそれだけではなく、吉右衛門はその押へた性根を舞台の上で表現するに就いて、顔のつくり、衣装のつけ方は勿論のこと、顔の表情、からだの表情、歩き方、坐り方、動き方を始め、声の出し方、台詞の抑揚、台詞の間のとり方、テムポやリズムなどに、一一精確にあらゆる工夫を凝らした。盛綱でも熊谷でも、大蔵卿でも貞任でも、長兵衛でも松蔵でも、さういふ点で、みんな実に細かに仕分けられてゐるのである。こんな芝居は今日では、もう到底見ることができない。のみならず例へば長兵衛が水野のうちへ呼ばれて行き、水野に挨拶をする場面など、相手は旗本、自分は町人だといふので、身分の上では十分敬意を表しはするが、然し男づくの勝負なら負けてゐるものかといふ気概が腹の底にあることが、見物にはつきり通じて、吉右衛門の長兵衛には、長兵衛の「位」が実に見事に表現されるのである。これも今日の芝居には見られない。
 ――吉右衛門の一周忌は、もう目の前に迫つて来てゐる。然し私にはまだ吉右衛門が、はつきり死んでしまつたのだといふ気がしない。どつかからひょつくり出て来そうな気が屡する。ただ芝居を見に行くと、吉右衛門はもうゐないのだといふことを、いやでも認めなければならないのである。 (昭和三〇・八・一九)
 (「吉右衛門の芸」より)