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推奨の本
≪GOLDONI/2008年6月≫

八世坂東三津五郎 武智鉄二 『芸十夜』
 駸々堂出版 1972年

武智 昭和三十年頃、「観照」という雑誌で、当時の名人ベストテンを選んだことがあったでしょう。
三津五郎 ええ、ええ。
武智 あの時に谷崎潤一郎さんとか、吉井勇さんとか、そういう一流の芸の鑑賞家に審査員になっていただいて。あのベストテンというのは、今見てもなかなかいい人が入っていますよ。で、十一位から下というのはやっぱりダメなんですよ。だからやっぱりあの頃までは芸の基準とか、見極め方というのは、見る方にもピシッとしてましたね。
三津五郎 ピシッとしていたというよりも、上にたくさん偉い人がいたから、いいものをみな見てきてるから……。それにあの頃は、まだいいのがいるから選べたんですよ、たとえ十人でも。
武智 あの順位はどうでしたっけね。一位が山城、二位が菊五郎で、十位が三津五郎さんで、あとは本を見ればわかりますが、茂山、後に善竹弥五郎さんに金春光太郎さん、野口兼資さん。喜多六平太さんも入ってましたね。
三津五郎 それから川崎九淵が入って……。
武智 それに富崎春昇さんと稀音家浄観さんでしたね。覚えてるのは十一位が延若で、十二位が梅玉だったんですよ。で、僕はその時この人達が十一位、十二位になったことはよかったなと思いましたが、それくらい贅沢でしたね。
三津五郎 だって能を見ようと思えば万三郎も見られるし、光太郎も見られるんだから。
武智 能について考えたいと思えば、何を見に行けばいいという目安もついたですものね。
三津五郎 そうです。
武智 その点、現代の若い人は大変気の毒なんで、そこで反撥して芸なんてありゃしないんだという考え方になるので、俺達にはどうせわからないんだという劣等感みたいなものがあると思うんですね。これは一種の敗北意識だし、自暴自棄だと思うんですよ。それで、芸をほんとうに理解する一つの手がかりというか、求道の先輩としての三津五郎さんのアドバイスを伺いたいのですが。
三津五郎 あたしみたいに五里霧中でメチャクチャになんでもかじって、芸とは何んだ、芸とは何んだでもって、生涯やってるうちに、自分が歳とっちゃって、自分の芸もまだできないけども、……でも一ついえることは、何でもいいから一つのものをよく見極めたらいいと思うんですけどね。
 例えば、絵の展覧会に行っても、今の人は絵を見ないで直ぐ作者の名前を見るでしょ。で、この作者はいくらくらいするんだと聞くんですよ。
武智 すぐ値段をいいますね。
三津五郎 これは悲しいことだと思いますよ。どんな芸術を見ても、この人は偉い人かって聞くんですよ。
武智 僕もときどき絵のことを聞かれるけれど、何を聞いてるのかと思うと、結局値段を聞いているんですよね。
三津五郎 だから自分でものを見る基準がないんですよ、現代人には。あたしがこないだ武智さんに御舟との巡り合いを聞いたのもそれなんですよ。御舟一つを見極めて、御舟一つがわかったという時に、ほかの芸もわかるんですよ、御舟を通じた眼で。……それで御舟がいくらだからという目でみてたら、いつまで経ってもわからない。
 
武智 それから別の話だけども、(速水御舟は)野球のゲーリックという人をとても褒めていたというんですね。ゲーリックの球はほかの選手の球とぜんぜん違うと……。手を離れる時が違うというんですね。あれは力を入れないようでいて、なんかすッと離れていって、相手のミットにピシッと納まるといったそうです。
  それがどういう意味か、僕にはわからないのですが、無駄がないということかなと思ってたんです。ところが、こないだ来たオリオールズにロビンソンという名三塁手がいたでしょう。その人が投げてるのをテレビで見てて、速水さんがゲーリックを褒めてたのはこれかなと思ったんです。それはね、ボールを投げる時、手を離れる瞬間というのがないんですね。だからちょっと空間を五寸か三寸離れたところから、ボールがシュッと出て来てね。ピチッと向うに行くわけですね。ああ、おそらくこのことをいっていたのかなと思って……。
三津五郎 それは剣術のほうで離心ということだと思いますね。離れるということは大変大事なことですからね。
  離心、残心――離れるということと、残るということが剣術では大事で、これは禅語から出たんでしょうね。
武智 剣道のほうで?
三津五郎 やはりそれでしょうね、離れるということは大変なことなんですよ。
武智 九代目(市川団十郎)が踊った時、うしろから出す手が、どこから出たかわからなかったという話がありましたね。
三津五郎 同じことですね。何か技術にこだわってるうちは、それができないのですね。
 山岡鉄舟のいってる中でも面白いのは木猫の話がありますけどね。剣術のほうでは有名な話ですが、ある田舎の剣術使いが、鼠が出てしようがないので猫を借りて来たら、猫が鼠に食われちゃったんですね。それでいろんなところから強い猫を借りて来るんだけれど、みんな鼠にとられちゃう。そうしたら近所の村に大変強い猫がいるというんで、その猫を借りてきておいといたら、その猫は身動きもしないで寝てばかりいるというんですね。(笑)
 なんだ、あの猫、鼠をとらねェじゃないかって。まるで木でこしらえた猫みたいだったというんですね。ところがぜんぜん動かないんだけれども、その猫をおいとくと鼠が一匹もいなくなったんですね。
  そこで剣術使いが初めて悟ったという有名な話なんですが、鉄舟がその話を聞いて滴水禅師かなにかにその話をしたら、「剣術ではそうかも知れないけれども、坐禅をしてると鼠が俺の頭の上を走るよ」というんで、それでまた鉄舟がびっくりして、自分も一つ修業しようと座ってると、はな、鼠が寄りつかなかったけれども、暫くすると鼠が安心して出て来た。そこでまた悟ったんですね。
 そこで鉄舟という人は明治になってからでも浅利又七郎(義明)に月一回くらいお稽古願いますといって、どうかして先生に勝とうとして、そこで日夜苦心していると、夜眠ってる間も浅利さんの顔が出てきたり、しかも立会いする時になると浅利さんの顔がグーッときて、いつも負けちゃって勝負にならなかった。
  ところがその木猫の話で悟ってから、浅利先生のところへ行った時に、「お稽古願います」といって、向い合ったら、浅利先生が木刀を置いて「もうあんたは、あたしより上になった。今日よりあんたが師匠になれ」といわれて、無刀流というのを開いたっていうんですね。勝とうと思う気がある間は、絶対勝てなかったというんですね。
  ――それが離れる心なんでしょうね。
 僕なんぞでも親父に、団十郎の公案みたいなものばかり聞かされて、口惜しくてしょうがないから、芸って一体なにものなんだろうと思って、それで一生懸命になっていろんなものを読んだり、能も勉強したりして来て、現在生きてる人のを見てもわからないし、そうなるとやはり絵なんですね。  
  (「芸八夜」より)