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推奨の本
≪GOLDONI/2008年9月≫

『イタリー日記』 小宮豊隆著 
角川書店 1979年

二月三日 日曜日
(略)今日はマリア・メラートがダヌンチオの「鉄」という脚本をやるが見に行かないかという。実は腹の工合がわるいのだが、とためらったが結局行くことにして、山田にうちの飯を喰わせる。こっちはコンソメとオムレツだけを喰っておく。
 マリア・メラートというのは第二のドゥーゼといわれている女優だそうである。大変に台詞がいいので評判だという。そのメラートのかかっているテアトロ・ヴァレというのはなかなか由緒のある劇場だそうで、まあ日本でいうと新富座のようなところだと山田がいっていた。小さい小屋だけれども、由緒ある小屋なので、いつでもいい役者がかかるんだそうである。
(略)ダヌンチオがこの間フューメの併合問題かなにかについて演説をした時には、レディたちがおもちゃの国旗を幾旒もダヌンチオに送ったのだそうだ。するとダヌンチオはそれをしばらくふりかざしてから、聴衆に向ってなげたのだそうだ。すると女がわれもわれもと先を争って奪い合いをしたのだそうだ。ちょっと歌舞伎の役者が、手拭いだのかんざしだのを投げるような趣がありました、と山田がいった。これなぞもやっぱりダヌンチオ一流の責め道具なんだろう。もっとも我々の考え方と西洋人の考え方とが、いろんな点でかなり違うから、こういう責めの道具も或いは有効であり、もしくは自然なものとしてうけとられるのかもしれない。それでなければトルストイのようになってしまわなければならないのかもしれない。
 しかし社交と芸術とはどうも本当は両立しないように自分には思われる。ラファエロでも、社交がなかったらもっといいものができたのじゃないか。ミケランジェロだのダ・ヴィンチだのレムブラントだのにはその芸術に煩いとなる程の社交がなかった。あってもそれをふみにじることができたのではないか。ロココの芸術やルネサンスの芸術は社交の中から生まれてきた芸術なのだろうか。それとも社交を超越していた芸術だろうか。ルネサンスの芸術をそういう方向から研究してみたらかなり面白い研究ができるかもしれない。しかしルネサンスがどうであろうと、芸術は社交と遠ざかるにしたがってその純粋性を保つことができるような気がすることは確かである。
 ( 「ローマ(二) 一九二四年二月三日」 より)